貂蝉  三国志一の美女

 

貂蝉(ちょうせん)字は不明
出身地不明(??~??)

王允(おういん)の侍女。「演義」オリジナルキャラだが、楊貴妃らとともに古代中国四代美女の一人に数えられる。

密かに董卓暗殺の策を練っていた王允は、娘同然にかわいがっていた貂蝉が、主のために助力したいと申し出たのを聞くと名案を思いつき、彼女を董卓とその腹心の呂布の間に送り込む「連環の計」で二人を仲違いさせ、呂布に董卓を暗殺させた。

貂蝉はその後、呂布の側室となったが、呂布が曹操に敗れて処刑された後に他の家族ともども都へ送られそのまま物語から退場した。

「吉川三国志」では董卓暗殺の直後に自害した。思いの丈を綴った詩を遺しており、それを読んだ呂布は彼女が刺客として送り込まれたことに気付き、発作的に遺体を井戸に投げ捨てた。
だが結局は彼女の面影を忘れられず、似た容姿の女を探して側室とし、しかも貂蝉と名付けている。

「横山三国志」では詩を遺さなかったので二人目の貂蝉も登場しない。

その他の創作での扱いはまちまちで、呂布の側室を経て関羽の側室となったものまである。
貂蝉の扱い方は作家の腕の見せ所であり、特に鄭飛石の「三国志」は斬新なアイデアを取り入れており、一読を薦めたい。

なお史実での呂布は、董卓の侍女と密通したことを咎められて、身の危険を覚えたことから王允の暗殺計画に参加しており、この侍女が貂蝉のモデルである。


~民間伝承での貂蝉~
ある民間伝承では貂蝉は醜女であり、名医・華佗(かだ)の手術によって古代の絶世の美女・西施の首と取り替えられ、さらに度胸がなくて計画を実行できないと知ると、今度は肝を、秦の始皇帝を暗殺しようとした荊軻のものと取り替えたという、フランケンシュタインか何かのような扱いを受けている。
それよりもどうして華佗は数百年前の偉人の首だの肝だのを持っていたのだろうか。