位宮  花嫁は豚とり名人



位宮(いきゅう)
高句麗の人(?~227)

高句麗の王。
伊夷模(いいも)の庶子または弟とも、同一人物ともいわれる。
また正確には位宮は諱(いみな)であり、山上王(さんじょうおう)と呼ばれた。

生まれてすぐに目が見えており、それが曽祖父の宮(きゅう)と同じだったことから位宮と名づけられた。(高句麗の言葉で「位」には「似ている」という意味がある)
勇猛で乗馬と弓に巧みだった。

233年、公孫淵(こうそんえん)に襲われた呉の使者を迎え入れた。
234年、魏から高句麗へ、呉の使者を捕らえるよう指示が出ていたため、謝宏(しゃこう)は先手を打って高句麗からの使者を捕らえた。位宮はあわてて釈明した。(『孫権伝』)

236年、呉の使者の首を斬り、魏へ送った。(『明帝紀』)

238年、司馬懿が反乱した公孫淵を攻めるとそれに助力した。(伝)(『東夷伝』)

244年、たびたび境を侵したため毌丘倹(かんきゅうけん)の討伐を招いた。位宮は2万の兵を率いて迎撃したが、半数の魏軍に連敗し、妻子を連れて逃亡した。(『毌丘倹伝』)

245年、王頎(おうき)に追撃されまたも撃破された。(『毌丘倹伝』・『東夷伝』)

余談だがなぜか彼の嫁(妾)とりのエピソードが事細かに伝わっている。
あるとき、祭祀に用いる生贄の豚が逃げだした。配下が追ったが豚は必死に逃げ回り、なかなか捕まらない。
すると美しい村娘が現れ、笑いながら簡単に豚を捕まえた。その話を聞いた位宮は興味を持ち、娘の家に通いつめた。
当然、位宮の妃は嫉妬し、刺客を差し向けた。だが娘は「私のおなかには王子がいる。私を殺せば王子を殺すことになる」と逆に脅したため、刺客はなにもできずに帰った。
事情を聞いた位宮は娘を召し上げ、生まれた子供を正式に認知したという。