王含  楽城を守る。以上



王含(おうがん)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。

258年頃、姜維は前線の防備を固めるため楽城を監軍の王含、漢城を蔣斌(しょうひん)に守らせた。(『姜維伝』)

263年、魏軍が侵攻した時、楽城・漢城にはそれぞれ5千の守備兵がいた。
鍾会は李輔(りほ)に楽城を、荀愷(じゅんがい)に漢城を1万の兵で包囲させ、西方へ進み諸葛亮の墓に詣でた。(『鍾会伝』)

蜀の滅亡後、蔣斌は魏へ降伏したが、王含の消息は不明である。

「演義」では鄧艾に夜襲を掛けられ蔣斌とともに敗走したが、姜維は自分のミスであるとして罪に問わなかった。
蜀の滅亡時には漢中が落ちるとさっさと降伏した。

それにしても鍾会と交流ある蔣斌ではなく、なぜこいつを描いたのだ絵師は。