王甫  美男子は忠誠の人

 

王甫(おうほ)字は国山(こくざん)
益州広漢郡郪県の人(?~222)

蜀の臣。

人物評価や議論を好んだ。(『楊戯伝』)

美男子で、従兄の王士(おうし)や李朝(りちょう)・李邵(りしょう)とともに「李王四子」と呼ばれ、「宝玉のよう」と評された。(『華陽国志』)

劉璋(りゅうしょう)の代に益州書佐を務めた。

214年、劉備が益州を制圧すると綿竹県令となり、後に荊州の議曹従事に移った。
夷陵の戦いに従軍し、222年、戦死した。

子の王祐(おうゆう)は父の面影があり、尚書右選郎まで上った。

楊戯(ようぎ)は「季漢輔臣賛」で「立派な風格を持つ」と評した。(『楊戯伝』)

「演義」では関羽の配下として登場し、関羽の死を聞いて周倉(しゅうそう)よりも先に自害した忠臣として描かれる。