王子服  一度見たら忘れない名前



王子服(おうしふく)字は不明
出身地不明(?~200)

後漢の臣。

199年、劉備は袁術の討伐に向かう前に、董承(とうじょう)から曹操暗殺の勅命を打ち明けられ、将軍の王子服(おうしふく)らと密議を凝らした。
だが翌200年、計画は露見し董承・王子服ら一派はことごとく処刑された。

「献帝起居注」に曰く。
暗殺の決行前に劉備が袁術討伐に出てしまい、董承は「郭汜(かくし)は数百の兵で李傕(りかく)の数万の兵を壊滅させたが、我々ではそうは行かない」と王子服に言った。
王子服も力不足を認め、兵も不足していると言い、董承は「まず曹操を暗殺し、その兵を手に入れたらどうか」と返し、腹心の种輯(ちゅうしゅう)・呉碩(ごせき)を一味に引き込んだ。(『先主伝』)

「後漢書」には偏将軍の王服(おうふく)と記されるが、「後漢書」は名の異同が多い。(『後漢書 献帝紀』)

「演義」では役職がなぜか侍郎に変更された。
「吉川三国志」では親友の董承に下った勅命を偶然知って結託する熱い男に描かれる。

また偽書と疑われる「後出師表」に意外な形で絡んでいる。
これは諸葛亮がしたためたとされるものの、趙雲の没年を間違っていたり、李服(りふく)というこの書でしか登場しない人物が、さも重要そうに語られていることから、偽書だと分析されているのだが、これを諸葛亮の真作と推す学者が、李服とは王子服を略した王服の誤りだと主張しているのだ。
素人考えでも李と王を間違ったという主張は無茶が過ぎると思う。