王子法  孔融の無能な配下



王子法(おうしほう)字は不明
出身地不明(??~??)

孔融(こうゆう)の臣。
王子姓は存在するが、ともに記述される3人がいずれも姓+字で記されるため、子法は字かもしれない。

「九州春秋」に曰く。
北海国相の孔融は数百の兵と1万石にも満たない米しか蓄えず、王子法・劉孔慈(りゅうこうじ)ら大言壮語ばかりの中身の無い人物を重用し、左丞祖(さじょうそ)・劉義遜(りゅうぎそん)ら清潔で優れた人物は顧問にするだけで用いなかった。
左丞祖は曹操や袁紹ら強大な勢力を後ろ盾とするよう諫言したが、孔融は聞き入れず左丞祖を殺してしまった。
それを聞くと劉義遜も出奔し、やがて袁紹に敗れた孔融は北海国を追われることとなった。
王子法の行方は不明である。(『崔琰伝』)

「演義」には孔融配下の四人は誰も登場しない。