王双  飛べ! おっぱいハンマー



王双(おうそう)字は不明
出身地不明(??~228)

魏の臣。

王双という人物は「正史」・「演義」ともに二ヶ所に登場するが、同一人物かは不明。
本項では同一人物として記述する。

222年、呉が夷陵の戦いで蜀に勝利すると、曹丕はその隙に呉へ侵攻した。
濡須には曹仁が迫ったが、守る朱桓(しゅかん)は巧みな指揮で魏軍を返り討ちにし、常雕(じょうちょう)を斬り、王双を捕らえた。(『朱桓伝』)

228年、諸葛亮は陳倉を攻めたが兵糧が尽き撤退した。王双が追撃したが、反撃され戦死した。(『後主伝』)

「曹真伝」には郝昭(かくしょう)・王生(おうせい)が陳倉を守ったと記され、王生は王双の別名か誤記、または一族の可能性がある。(『曹真伝』)

以上、「正史」では完全なチョイ役なのだが「演義」での王双は曹真(そうしん)の懐刀として大幅に脚色された。
濡須の戦いで捕らえられる王双は別人として、涼州隴西郡狄道県の出身で字は子全(しぜん)とされ、流星鎚なる飛び道具を操り、演義オリジナルキャラの謝雄(しゃゆう)、龔喜(きょうき)の二人を討ち取り、さらに張嶷(ちょうぎょく)に重傷を負わせた。
華々しいデビューを飾ったが、そのため諸葛亮に目を付けられてしまい、策に掛かって魏延に討たれた。

「横山三国志」では字を子金(しきん)と珍しく誤られ、また流星鎚の外見はどう見てもおっぱいである。
ちなみに寝込んでいた曹真は王双が討ち取られたショックで病状を悪化させ、間もなく亡くなるのだが、王双戦死の一報を受けた際に「王双が斬られた。王双が斬られた。うーん」というインパクトのあるセリフとともに卒倒しており、このセリフや画像はネット上でよく用いられている。

なお絵師によるとこのアイコンは室伏広治を念頭に置いているという。