于詮  不死身の男

 

于詮(うせん)字は不明
出身地不明(??~258)

呉の臣。

258年、反乱した諸葛誕は敗北し捕らえられた。

「晋紀」に曰く。
諸葛誕の配下の数百人は並べられ一人ずつ斬られていった。一人斬るごとに降伏するよう呼びかけられたが、誰一人として応じず揃って殺された。
救援に来た呉の于詮も「大の男が君命を受けて援軍に来たのに勝利を得られず、降伏するなど私の取る道ではない」と言い、兜を脱ぎ捨てて敵陣に斬り込み戦死した。

記述はこれだけだが、柴田錬三郎の「英雄生きるべきか死すべきか」での最期が印象深い。
倒れては立ち上がり斬られては立ち上がるその死に様を、後世の人は「呉に英雄は多けれども、于詮のあえて身を殺す生き様に及ぶ者があろうか」と讃えた。

「演義」でも同様に戦死する。(『諸葛誕伝』)

なお呉将なのに青いのは依頼した筆者の勘違いによる。