魏平 北の魏将

魏平(ぎへい)字は不明
出身地不明(??~??)
魏の臣。
220年、曹操が没すると西平郡の麴演(きくえん)が二度にわたり反乱した。
張進(ちょうしん)・黄華(こうか)ら雍州・涼州の豪族が揃って反乱し大勢力となり、武威太守の毌丘興(かんきゅうこう)は前に麴演を討伐した蘇則(そそく)に救援を求めた。
蘇則は金城郡に駐屯する郝昭(かくしょう)・魏平(ぎへい)と合流し、速攻を仕掛けた。
まず武威郡を攻める三種の異民族を降伏させ、毌丘興とともに張進を攻めた。騙し討ちしようとした麴演を逆に騙して処刑し、張進を討ち取り、黄華を降伏させた。(『蘇則伝』)
「漢晋春秋」に曰く。
231年、諸葛亮と対峙した司馬懿は戦いを急がず、賈栩(かく)・魏平らは「公(司馬懿)は蜀を虎のように恐れておいでで、世間の笑いものになったらどうなさいます」とたびたび開戦を要請した。
司馬懿は思い悩んだ末に張郃とともに蜀軍の布陣した祁山を包囲し、王平(おうへい)を攻撃したが、魏延・高翔(こうしょう)・呉班(ごはん)の救援により撃破され、3千の首と5千の鎧、3千の弩を奪われた。(『諸葛亮伝』)
この戦で張郃は戦死した。(『張郃伝』)
「演義」でも張郃とともに蜀軍と戦った。
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