呉懿 劉備の地味なお義兄さん

呉懿(ごい)字は士遠(しえん)
陳留郡の人(?~237)
※司馬懿の諱を避けて呉壱(ごいつ)とも書かれる
蜀の将。
幼くして両親を亡くし、父の友人だった劉焉(りゅうえん)を頼り益州に入る。
呉懿の妹を見た人相見が「この娘はいずれ高貴な身分になるだろう」と言ったため、勘違いした劉焉は息子の劉瑁(りゅうぼう)の嫁に迎えた。
だが劉瑁は早逝し、やがて劉備が攻め寄せると呉懿は降伏し、未亡人の妹は劉備に嫁いだ。
劉備の義兄であり、また博愛の人だった呉懿は重用され、街亭の戦いの際に諸将は「呉懿か魏延を総大将にすべきだ」と推したが、孔明は若い馬謖を抜擢し、馬謖は大敗した。
孔明が死ぬと漢中を任された。
血縁といい働きといいこれだけの重要人物でありながら、なぜか伝は立てられず、その事績はあまり知られていない。
|