郭攸之  目立たない男



郭攸之(かくゆうし)字は演長(えんちょう)
荊州南陽郡の人(??~??)

蜀の臣。

学問に優れ、劉備が荊州を統治していた頃に仕えたと思われるが、表に出てくるのは諸葛亮が227年に「出師の表」で言及するのが初めてで、そこでは劉備が抜擢したと記される。
「出師の表」では後に諸葛亮、蔣琬(しょうえん)と並び「四相」と呼ばれた費禕(ひい)、董允(とういん)と同列に置かれ、素直で真心のある純粋な志を持つ忠臣だと絶賛され、内々のことと幼帝・劉禅の目付役を任された。
だが費禕は間もなく前線に呼ばれ、郭攸之は温厚で出世欲を持たなかったため出過ぎず、結局は董允が一人で目付役を務めたという。

また後に同僚や上官はもちろんのこと亡き劉備・関羽まで批判し庶民に落とされた廖立(りょうりつ)は「郭攸之は他人に従うだけで大事を謀る能力がないのに私と同列になっている」と痛烈にこき下ろしている。

だが無名だった魏延、黄忠、法正(ほうせい)、楊儀(ようぎ)、鄧芝(とうし)らを抜擢し、逆に名声高い馬謖(ばしょく)の実力不足を見抜いた三国屈指の人物鑑定眼を持つ劉備に見出され、諸葛亮にも「四相」と同列に評価されたのだから、凡才ではないだろう。

「演義」でも「出師の表」で突然「軍事のことは向寵(しょうちょう)に、政治のことは郭攸之らに」とさも重要人物のように現れるのに、向寵ともどもその後は全く登場しないという扱いを受けた。