嵆康 竹林の七賢・隠者

嵆康(けいこう)字は叔夜(しゅくや)
豫州譙国銍県の人(??~??)
隠者。
嵆昭(けいしょう)の子。嵆喜(けいき)の弟。
いわゆる竹林の七賢の一人。
「王粲伝」に附伝され、「晋書」に列伝される。
文辞は壮麗で老荘を好んで語ったが、奇矯さを尊び侠気を重んじた。
景元年間(260~264)にある事件の巻き添えで処刑された。(『嵆康伝』)
早くに父を失い、突出した才能を持ち高邁で人と群れなかった。身長は7尺6寸、言葉は美しく風格があったが、武骨・粗野で身を飾らず、龍や鳳のように立派な風采とうたわれた。恬淡として無欲で、寛大でさっぱりした性格で度量が大きかった。
魏の宗室と婚姻し中散大夫となった。(『晋書 嵆康伝』)
「嵆氏譜」に曰く。
曹林(そうりん)の孫娘(※曹操の曾孫)をめとった。(『沛穆王林伝』)
嵆喜の著した「嵆康伝」に曰く。
代々儒学を重んじた家で、若くして優れた才能を持ち自由闊達・高尚で性情の赴くままに振る舞い、評判を気に掛けず、鷹揚で度量も大きかった。
師について正統な学問をしなかったが幅広い学識を持ち、長じると老荘を愛好し物静かで無欲に暮らした。
道家の用いる薬を採取し常に服用し、文学や論文を著し、琴をつまびきながら詩を詠じ、空想の世界に生きた。
神仙には学問を積み重ねて到達できないが、理にかなった健康管理を行えば長寿が得られると考え「養生論」を著した。
安楽を求めれば生きる活力を失い、利益を求めれば本性を失うと思い、超然としてひとり悟りを開き世事から離れ浮世の彼方へ心を遊ばせた。
古代から現代の管寧(かんねい)までの聖人・賢者・隠者119人の伝記を著し、世人は(あまりに高尚な思想で)それに書名を付けられなかった。
「世語」に曰く。
255年、毌丘倹(かんきゅうけん)の反乱に加担しようと思い山濤に相談したが反対され、既に毌丘倹も敗れていた。
(※これを根拠に「魏氏春秋」等では同年に嵆康は処刑されたと記すが、裴松之は論理的に矛盾を指摘する)
「魏氏春秋」に曰く。
河内郡山陽県に居住した。親しい者は彼の喜怒哀楽を見たことがなく、阮籍(げんせき)・山濤(さんとう)・向秀(しょうしゅう)・阮咸(げんかん)・王戎(おうじゅう)・劉伶(りゅうれい)らと懇意で、竹林の七賢と称した。
名声を聞いた鍾会が訪ねた時、嵆康は鍛冶仕事をしていた。挨拶もせず黙って見ていると嵆康は「何を聞いて訪れ、何を見たら去るのか」と聞いた。鍾会は「聞くことがあって訪れ、見たことがあって去る」と答え、これを酷く根に持った。
司馬昭に招聘されたが隠棲を宣言しており、従子の素行が悪いこともあってそれを断り河東郡へ移住した。
山濤は選曹郎に取り立てられると辞退して代わりに嵆康を推挙したが、それも拒絶した。司馬昭は立腹した。
親交あった呂巽(りょそん)が弟の呂安(りょあん)の妻と密通した挙げ句に誣告し投獄させると、呂安は嵆康に弁護を頼んだ。
鍾会は司馬昭に讒言して嵆康・呂安を処刑させた。嵆康は平然と琴をつまびき「古典音楽はここで絶えるだろう」と慨嘆し、多くの人々が哀れんだ。
以前、隠者の孫登(そんとう)に「君は才能は多いが見識に乏しい。今の世で災難を免れることは難しい」と言われたのが的中したのである。
嵆康の残した文章は6~7万字に及び全て世に広く伝わった。(『嵆康伝』)
呂安は嵆康を一方的に慕い、千里の道を超えてはるばる訪ねてきたため親しくなった。呂安が投獄されると「幽憤詩」を作り悲しんだ。
鍾会は「嵆康は臥龍です。あなた(司馬昭)の脅威になる者がいるとすれば嵆康です。毌丘倹の反乱にも加担しようとしました。嵆康・呂安は放蕩で儒学を毀損し世俗を乱します」と讒言した。
処刑が決まると太学の学生3千人が師として助命嘆願したが赦されなかった。享年40。司馬昭はすぐに濡れ衣と知り後悔した。(『晋書 嵆康伝』)
「嵆康別伝」に異説がある。
孫登は「君の性格は激烈で才能は優れている。ゆえに災難は免れられまい」と言った。
嵆康は処刑に臨み「袁準(えんじゅん)に広陵散(曲名)を教えてくれと頼まれたが私は固辞した。広陵散はここで絶えるのだ」と言った。(『嵆康伝』・『晋書 嵆康伝』)
「晋陽秋」にも異説がある。
孫登は歌ってみせるだけで何も言わなかった。去り際にようやく「惜しいことだ」とだけ言った。(『嵆康伝』)
隠者の王烈(おうれつ)とも知り合いともに山に登った。王烈が仙薬を見つけ半分にし分け合おうとすると途端に石に変わった。
書物を見つけたが消滅したこともあり王烈は「嵆康の志は高いが、得られないのは天命だ」と残念がった。
また広陵散は古代の人間と名乗る謎の人物に教わったものである。(『晋書 嵆康伝』)
子の嵆紹(けいしょう)は山濤に推挙され、晋の高官を歴任した。
「晋諸公賛」に曰く、山濤の子の山簡(さんかん)と親しかった。(『嵆康伝』)
嵆紹も晋書に列伝された。(『晋書 嵆紹伝』)
「演義」には登場しない。
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