蹇碩 元祖肉体派おネエ

蹇碩(けんせき)字は不明
出身地不明(?~189)
後漢の宦官。
霊帝(れいてい 12代皇帝)に寵愛され、宦官ながら頑健な体躯を買われ近衛軍を率いた。
霊帝は太子の劉弁(りゅうべん 後の13代皇帝)をうとみ、劉弁の弟の劉協(りゅうきょう 後の14代皇帝)に跡を継がせようと考え、蹇碩を補佐に据えた。
そのことで劉弁の母の兄である大将軍の何進(かしん)と対立し、袁紹らの画策で追い詰められる。
ついに何進の誅殺をもくろむが、何進に先手をうって殺された。
ちなみに曹操は都で警備の任についていたころ、夜間外出の禁を破った蹇碩の叔父を殴り殺し、身分にとらわれず法を守る者として名を上げた。
宦官たちは曹操を憎んだが、落ち度を見つけられず、逆に地方に栄転させることで都から追い出したという。
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