呼廚泉 匈奴最後の単于

呼廚泉(こちゅうせん)
匈奴の人(??~??)
匈奴の単于(王)。
於夫羅(おふら)の弟。
195年に於夫羅が没すると単于の座を継いだ。
兄の代に曹操へ帰順していたが202年、高幹(こうかん)とともに反乱した。だがともに蜂起した馬騰(ばとう)・韓遂(かんすい)ら関中勢は説得されて曹操方に寝返り、呼廚泉は曹操・関中の連合軍に大敗し降伏した。
216年、呼廚泉は朝貢し官位を授けられ、そのまま都へ留め置かれたため、叔父で左賢王の去卑(きょひ)が一族を率いた。
220年の曹丕の即位の際にも名が見え、その後消息が途絶えるが、なんと265年、司馬炎の即位式に列席した。
271年、南匈奴を率いる叔父の劉猛(りゅうもう)が晋に反乱した。
劉猛は翌年に討たれたものの南匈奴は反抗を続けている。
277年、呼廚泉は再び来朝し官位を授かった。
没年は不明だが90歳以上の長寿に恵まれたことは間違いない。
だが魏・晋の都に留め置かれたうちに地位は衰え、呼廚泉を最後に単于の座に就く者は無く、左賢王の系譜が権力を握った。
しかし304年、於夫羅の孫の劉淵(りゅうえん)が匈奴大単于を名乗って蜂起し、西晋を滅亡させ華々しく復活を遂げるのだった。
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