黄蓋  苦肉の計

 

黄蓋(こうがい)字は公覆(こうふく)
荊州零陵郡泉陵県の人(??~??)

呉の臣。

「呉書」に曰く。
祖父の代に零陵郡へ移住した。幼い頃に父を失うなど不幸が重なり若くして辛苦をなめた。
しかし凡人にはなるまいと大きな志を抱き、薪を集める合間に上表文の書き方を学び、兵法を研究した。

郡の役人を務め、孝廉に推挙され三公の府から招聘された。
挙兵した孫堅に従い、山越や董卓の討伐に功績あり、別部司馬となった。
孫堅の没後は孫策・孫権に仕え、自ら甲冑を着け白刃を冒して各地を転戦した。(『黄蓋伝』)

195年、揚州刺史の劉繇(りゅうよう)のもとにいた太史慈は偵察に出て孫策に遭遇した。太史慈の配下は1騎しかなく、孫策のもとには13騎ありしかも韓当(かんとう)・宋謙(そうけん)・黄蓋ら勇猛の士ばかりだったが、迷わず戦いを挑んだ。孫策は太史慈の馬を突き刺して手戟を奪い、太史慈も兜を奪う乱戦となり、双方の味方が駆けつけ引き分けとなった。(『太史慈伝』)

「呉録」に曰く。
199年、江夏太守の黄祖(こうそ)との戦いでは行武鋒校尉として活躍した。(『孫策伝』)

山越や群盗の横行する県には、常に黄蓋が長官に任じられ鎮圧に当たった。
石城県は役人の綱紀も特に乱れており、2人の掾を任命し二手に分けて統治させた。その命令書に曰く、「私はただ武功によって役目を果たし、文官として評価されたことはない。私は反逆者や侵略者の対処に追われているから、文官の仕事は2人に任せる。もし不正やごまかしがあれば、鞭打ちや棒叩きでは済まさない。心を尽くし刑罰を受けることのないよう努めよ」
2人ははじめ黄蓋を恐れて職務に励んだが、黄蓋が文書に全く目を通さないのをいいことに、綱紀を乱した。
黄蓋は不正の証拠をつかむと役人を全て集めて酒宴を催し、その席上で2人の掾を詰問し「先に鞭打ちや棒叩きでは済まさないと言ってある。ここで殺しても欺いたことにはならない」と言い処刑させた。役人は震え上がった。

春穀県長、尋陽県令など9つの県を治め、平穏をもたらした。丹陽郡の都尉に昇進すると豪族の勢力を抑えて弱者を救済し、山越にも慕われた。
威厳ある風貌だが兵の生活によく気を配ってやったため、戦になると兵は先を争って奮闘した。(『黄蓋伝』)

208年、赤壁の戦いで曹操軍には疫病が蔓延し、孫権軍に敗れると長江の北に布陣した。
黄蓋は周瑜に「敵は多勢で持久戦になれば不利です。敵の軍船は密集しており、火攻めをすれば一掃できます」と献策した。
そこで黄蓋が偽装投降を申し出て、船に薪と草を詰め込み、油を注いだ。曹操軍は黄蓋が投降して来たと喜んだが、黄蓋は火を放った船を切り離し突入させた。全ての軍船に火が移り、岸辺にある軍営まで延焼しおびただしい焼死者が出た。
「江表伝」に曰く、曹操は罠を疑ったが、莫大な恩賞を約束し結局は信じた。(『周瑜伝』)

この功により武鋒中郎将に任じられた。

「呉書」に曰く。
赤壁の戦いで黄蓋は流れ矢に当たって河に落ち、味方に救われたが黄蓋だと気づかれず便所に放置された。力を振り絞って韓当を呼び、声に気づいた韓当は泣きながら衣服を取り替えてやり、命拾いさせた。

武陵太守として武陵蛮の反乱鎮圧に当たった時、兵は5百人しかいなかった。まともに戦っては勝てないと考え、わざと城門を開いて敵をおびき寄せ、半数が入ったところを包囲し数百人を斬った。残りは逃亡したが、首謀者だけを殺して配下の罪は問わなかった。
春から夏の間に反乱は全て平定され、蜀に従っていた遠方の異民族もこぞって寝返った。
長沙郡益陽県が山越に攻撃されると討伐し、偏将軍を加官された。
病を得て在官のまま没した。

決断が早く事を引き伸ばすことがなく、呉の人々はしばしば彼を偲んだ。
「呉書」に曰く、人々は黄蓋の肖像を描き、季節ごとに祀った。(『黄蓋伝』)

黄蓋・孫瑜(そんゆ)が没すると孫瑜の弟の孫皎(そんこう)が兵を受け継いだ。
(※黄蓋の没年は不明だが孫瑜は215年没で、同時期だろう)(『孫静伝』)

229年、孫権は帝位につくと功績を改めて採り上げ、子の黄柄(こうへい)を関内侯に封じた。(『黄蓋伝』)

陸機(りくき)は「弁亡論」で「韓当・潘璋(はんしょう)・黄蓋・蔣欽(しょうきん)・周泰が国力を四方へ伸ばした」と記した。(『孫晧伝』)

陳寿は黄蓋を程普(ていふ)・韓当・蔣欽・周泰・甘寧・凌統・潘璋・丁奉らと同伝に収め「みな江南の勇猛な臣であり、孫氏が手厚く遇した」と評した。

「演義」では鉄鞭(※まさか苦肉の計の伏線なのか)を使う、程普・韓当・祖茂(そぼう)に並ぶ孫堅の四天王格として登場。赤壁の戦いでは周瑜との不仲を演じるためわざと棒打ちさせる「苦肉の計」を立てた。また本戦で黄蓋に矢を命中させたのは張遼とされ、救出されるのも便所ではなく河の中である。

「横山三国志」では曹休(?)に射たれたきり再登場せず戦死したと思われる。