高沛 劉備に暗殺された人A

高沛(こうはい)字は不明
出身地不明(??~212)
益州を治めた劉璋(りゅうしょう)の配下。
同僚の楊懐(ようかい)とセットで描かれがち。
西下を始めた曹操と、漢中の張魯(ちょうろ)を恐れた劉璋は、同族の劉備を迎え入れそれに対抗しようとした。
しかし劉備は張松(ちょうしょう)、法正(ほうせい)ら劉璋政権で不遇をかこっていた人々と裏で結託し、益州を乗っ取ろうと目論んでいた。
劉備の意図に気づく者も多く、高沛や楊懐もその一人で、勇名高い劉備に敬意を払いながらも、たびたび劉璋に追い返すよう諫言したという。
212年、劉備の軍師を務める龐統は「我々が荊州に戻ると言えば、高沛らは喜んで見送りに来るでしょう。その軍勢を奪って決起しましょう」と進言した。
はたして高沛らは見送りに訪れ、斬られて軍勢を奪われた。
龐統は兼ねてより高沛、楊懐を名将だと警戒しており、また騙し討ちを好まない劉備が暗殺を用いていることから見て、相当の実力を持っていたと思われる。
なお「先主(劉備)伝」には、劉璋が張松の内通に気づいて処刑し、諸将に劉備と関わらないよう通達したところ、濡れ衣だと激怒した劉備が高沛らを斬り捨てた、と経緯の違う記述がある。
また「演義」では張松の処刑後、高沛らは劉備を暗殺しようとしたが、返り討ちにあったことにされている。
手段を選ばず高沛らを殺した劉備だが、やむをえず殺したのだと徐々に美化されていく過程が見えるようで面白い。
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