淳于瓊  元気があれば烏巣も守れる



淳于瓊(じゅんうけい)字は簡明(かんめい)
出身地不明(?~200)

袁紹の重臣。

188年、校尉に任ぜられ、蹇碩(けんせき)、袁紹、曹操らとともに西園八校尉と号した。大将軍・何進(かしん)の暗殺や董卓の台頭後は、都を離れ袁紹に従う。
195年、帝が李傕(りかく)らの専横に苦しんでいたとき、沮授(そじゅ)は帝を迎えるべしと進言したが、淳于瓊と郭図(かくと)は「漢室に力はない。帝を手中にしても行動を制限され、かえって権威を落とすだけだ」と反対した。沮授の権力が弱まると、その軍を沮授・郭図・淳于瓊の三人で統率することになった。
曹操との戦いが始まると、淳于瓊は兵糧輸送を担当した。だが烏巣に駐屯したとき曹操軍に奇襲をかけられ、小勢とあなどって迎撃に出たが敗北し、陣に火をかけられ兵糧を焼かれた。
淳于瓊は戦闘中に鼻を失い、捕らえられた。曹操に「どうしてこんな有様になったんだ」と聞かれると「勝敗は天の運だ。質問することなどないはずだ」と気概を見せたため、曹操は赦そうと思ったが、曹操に寝返り焼き討ちを成功させた許攸(きょゆう)が「こいつは鏡を見るたびに恨みを思い出し、いずれあなたに害をなすでしょう」と警告したため、淳于瓊は処刑された。

ちなみに『演義』では酒におぼれて無抵抗のまま捕らわれ、耳・鼻・指を切られて馬にくくりつけられ解放されるというインパクトのある拷問を受け、怒った袁紹に斬られたり、『蒼天航路』では曹操に斬りかかるが視界にすら入れられないまま迎撃されるなど、創作で便利に使われがちな人物である。