左昌  絵に描いたような無能刺史



左昌(さしょう)字は不明
出身地不明(??~184?)

後漢の臣。

184年、辺章(へんしょう)が反乱すると、涼州刺史の左昌は軍の編成にかこつけて数千万銭を盗んだ。蓋勲(がいくん)が諌めると逆恨みし、前線に飛ばし敗北させて罪に問おうとしたが、蓋勲はしばしば戦功を上げた。
辺章は金城郡を攻め、蓋勲は救援するよう言ったが左昌は無視した。金城太守の陳懿(ちんい)が戦死し、さらに進軍して左昌も包囲された。
救援要請を出すと、蓋勲とともに駐屯していた辛曾(しんそう)・孔常(こうじょう)らはそれをためらったが、蓋勲は故事を引いて激怒し、すぐさま救援に赴いた。
蓋勲が辺章らの罪を責めると、「左昌があなたの指示に従いすぐ兵を出していたら考えを改めたかも知れないが、ここまで罪を重ねてはもう降伏できない」と言い、辺章は撤退した。

左昌は横領の罪により断罪され、宋梟(そうきゅう)が後任の涼州刺史となった。(『後漢書 蓋勲伝』)