士孫瑞 王允とともに董卓暗殺計画を練る

士孫瑞(しそんずい)字は君栄(くんえい)
司隸右扶風郡の人(129~195)
後漢の臣。
字は君策(くんさく)とも。
「後漢書 王允伝」に附伝される。
「三輔決録注」に曰く。
代々学者の家柄で、博識であらゆることに通暁し高官を歴任した。(『董卓伝』)
優れた謀才があった。(『後漢書 士孫瑞伝』)
192年、尚書僕射の士孫瑞は王允(おういん)・呂布と共謀し董卓を暗殺した。(『董卓伝』)
功績を王允に譲り列侯されなかったため、董卓残党に報復されなかった。(『後漢書 士孫瑞伝』)
「三輔決録注」に曰く、大司農に上った。(『董卓伝』)
国三老となり、光禄大夫となった。三公に欠員が出るたび、楊彪(ようひょう)・皇甫嵩(こうほすう)らはいったん辞退し士孫瑞を推薦した。
「献帝紀」に曰く。
195年、献帝の洛陽帰還に尚書令として随行し戦死した。(『後漢書 士孫瑞伝』・『董卓伝』)
「三輔決録注」に曰く。
献帝は許昌へ遷都すると士孫瑞の功績を採り上げ、子の士孫萌(しそんほう)を列侯した。士孫萌も父譲りの才能と学問があった。
「演義」でも王允とともに董卓暗殺計画を練ったが、その後は登場せず戦死もしない。
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