沮鵠 父子ともに主君に殉ず

沮鵠(そこく)字は不明
冀州広平郡の人(??~??)
袁尚(えんしょう)の将。袁紹の軍師を務めた沮授(そじゅ)の子。
204年春、袁尚は審配(しんぱい)に鄴を、沮鵠に邯鄲を守らせた。曹操は鄴を攻め落とせないと見るや、周囲の掃討へと向かった。
そして同年夏、邯鄲は陥落し沮鵠はそのまま歴史から姿を消しており、戦死したと見られる。
先に父の沮授は曹操に捕らえられ降伏を勧められたが、袁紹への忠誠と、残された一族のためにわざと陣を脱走しようとして殺されていた。沮鵠もまた父とともに主君に殉じたのである。
「演義」でも邯鄲を守り曹操軍と戦い、こちらは張遼に一騎打ちで討ち取られた。
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