孫匡  孫堅の四男



孫匡(そんきょう)字は季佐(きさ)
揚州呉郡富春県の人(??~??)

呉の臣。
孫堅と呉夫人(ごふじん)の四男。

191年、父が戦死すると本来は孫策が爵位を継ぐところだが、孫匡に譲った。
200年頃、曹操はきたる袁紹との戦いに向け、孫策を手懐けようと考え、姪(弟の子)を孫匡に嫁がせるなど、弟らを厚遇した。(『孫策伝』)

孝廉と茂才に推挙されたが、任官する前に20歳あまりで没した。(『孫匡伝』)

子の孫泰(そんたい)は234年に合肥新城の戦いで討ち死にし、孫の孫秀(そんしゅう)は孫皓に疎まれ、270年に晋へ亡命した。(『孫匡伝』)

「江表伝」には222年の洞口の戦いで失態を犯し禁固されたと記されるが、裴松之は「孫堅は191年に戦死しており、孫匡が20歳あまりで任官せず死去したという記述と矛盾する」と指摘し、弟の孫朗(そんろう)の誤記だと推測している。(『孫匡伝』)

「演義」では妻は曹仁の娘に変更された。