孫峻 はじめ英雄あと暴君

孫峻(そんしゅん)字は子遠(しえん)
出身地不明(219~256)
孫堅の弟・孫静(そんせい)のひ孫。
若いときから馬術や弓術に優れ、宮中の警護を担当した。
孫権が晩年、後事を誰に託すか悩んだとき、孫峻は諸葛恪(しょかつかく 孔明の兄・諸葛瑾の子)を推挙した。孫権は諸葛恪の独断専行な性格を危ぶんだが、その死後に諸葛恪は権力を握った。
諸葛恪の専横を憎むものは多く、孫弘(そんこう)は偽の詔勅を出して誅滅しようとしたが、孫峻が気づいて助言し、諸葛恪は先手を打って孫弘を殺した。
このように二人の仲は悪くなかったが、諸葛恪は独断で魏に遠征したため、孫峻は自分の軍権をおびやかされるのを恐れた。
諸葛恪が大敗すると、それに乗じてクーデターを起こし、酒席で諸葛恪を殺した。
呉の全権を得た孫峻は、諸葛恪よりも酷い独裁者に成り果て、次々と一族の反乱を招いたが、自身もクーデターで成り上がっただけはあり、すべて事前に阻止してみせた。
だが反乱で神経をさいなまれ、酒色にふけって身を持ち崩したのだろうか、諸葛恪に殴られる悪夢を見て以来、病に悩まされ38歳の若さであっけなく死んだ。
のちに帝位についた孫休(そんきゅう)は孫峻を激しく憎み、その墓をあばき副葬された印綬を奪ったという。
ちなみに『柴錬三国志』では諸葛恪を討ったエピソードがかっこよく描かれすぎたため、奸臣を討った英雄だったはずの孫峻がいつの間にか暴君になってしまっている。
~肖像~
なおこの肖像は特に誰を念頭において描かれたものではなく、管理人が孫峻として採用したものである。
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