宋梟 蓋勲の忠告を無視し解任される

宋梟(そうきゅう)字は不明
雍州扶風郡の人(??~??)
後漢の臣。
名は宋泉(そうせん)、宋因(そういん)、宋淵(そうえん)、宋臬(そうげつ)と諸説ある。
184年、涼州刺史の左昌(さしょう)は横領の罪により断罪され、宋梟が後任の涼州刺史となった。
離反や略奪が相次いでいたため、民衆に孝経を学ばせモラルを上げようと考えたが、蓋勲(がいくん)は「兵難に対処せず急に変わったことをすれば、民は恨み朝廷の笑いものになるだけです」と反対した。
宋梟は無視してそれを上奏したが、はたして朝廷に職務怠慢として解任された。(『後漢書 蓋勲伝』)
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