曹節  献帝に添い続けた曹操の娘



曹節(そうせつ)字は不明
豫州沛国譙県の人(??~260)

献帝の皇后。
曹操の娘。

212年、曹操は娘の曹憲(そうけん)・曹節・曹華(そうか)の三姉妹を献帝の夫人とした。幼い子は国で成長を待った。
213年、揃って貴人に進んだ。
同年、伏皇后(ふくこうごう)が(曹操の誅殺を企み)殺されると、翌214年に曹節が皇后となった。

220年、兄の曹丕が献帝から帝位を禅譲されたが、曹節は怒って璽綬(皇后の印鑑)の返還に応じなかった。何度も使者を送られるとついに諦め、軒下に璽綬を投げ捨てて涙を流し「天はお前(璽綬)に味方しなかった」と嘆じた。左右の者は顔を上げられなかった。在位7年。

献帝は山陽公として封地に出され、曹節もそれに従った。
献帝は234年に、曹節は260年に没した。(※後漢書は237年没と誤記する)
合葬され、漢の儀礼に従って葬られた。
穆皇后と諡された。
「諡法解」に曰く、穆とは「徳を布き義を執る」の意である。(『後漢書 献穆曹皇后紀』)

「演義」では版本により曹節のキャラが異なり、はじめの版では曹丕への禅譲に際し「さっさと兄に帝位を譲りなさい」と献帝に迫り、帝位を剥奪されるなら用はないと実家に戻る鬼嫁に描かれた。
これは「吉川三国志」でも同様で、それを原作とする「横山三国志」ではさらに父そっくりのおよそ器量も良くない容姿に描かれ、また献帝への嫁入りも遅く、伏皇后の死をきっかけに曹操から「良い娘がいる」と紹介される流れでますます政略結婚臭が増している。
「演義」は後の版本で史実に沿った良妻に描かれ名誉が回復されたが、吉川&横光の力で日本では悪妻キャラの印象が濃いだろう。

「蒼天航路」では英雄曹操のファンという共通点から献帝との仲睦まじい様子が描かれた。