蔣欽 呂蒙と並び称される

蔣欽(しょうきん)字は公奕(こうえき)
揚州九江郡寿春県の人(??~219)
呉の臣。
孫策が袁術に身を寄せていた頃に、同郡出身の周泰とともに側近として仕えた。(『蔣欽伝』・『周泰伝』)
孫策が江東の討伐へ向かうと別部司馬として兵を率い、3郡を平定し、豫章郡の制圧にも貢献した。
葛陽県の尉となり、3つの県長を歴任して山越を平定し、やがて会稽郡の西部都尉に上った。(『蔣欽伝』)
会稽・東冶で呂合(りょごう)・秦狼(しんろう)らが反乱すると、呂岱(りょたい)・蔣欽が捕らえて5県を平定した。(『蔣欽伝』・『呂岱伝』)
討越中郎将に移り、領邑を与えられた。
黟県で反乱が起こると賀斉(がせい)とともに討伐し、1万の兵を率い平定した。(『蔣欽伝』)
鄱陽郡の彭虎(ほうこ)は数万の仲間を集めていたが、董襲(とうしゅう)・凌統・歩騭(ほしつ)・蔣欽らが討伐し10日ほどで平定した。(『董襲伝』)
215年、合肥の戦いで張遼が孫権に肉薄したが、呂蒙・蔣欽・凌統・甘寧が奮戦し守り切った。(『蔣欽伝』・『甘寧伝』)
盪寇将軍に上り、濡須督を務めた。後に中央に召され右護軍となり、訴訟を司った。
ある時、孫権が家を訪ねると母も妻妾もみな粗末な衣服をまとっていた。孫権は高位にあっても倹約に努めているのに感心し、宮中から豪華な衣服を届けさせた。(『蔣欽伝』)
「江表伝」に曰く。
孫権は呂蒙・蔣欽に「あなた方は高位にあり万事を処理しているから、学問をして知識を広めるのも必要である」と勧めた。
呂蒙が多忙で読書の暇が無いと言うと、孫権は「何も博士になって欲しいとは言わない。ただ広く往事を見て欲しいのだ。多忙と言っても私ほどではあるまい。若い頃に広く学び、国政を執るようになってからも学び続け有益だった。あなた方は聡明で理解力もあるから、必ず得るものがある」とさらに勧めた。
呂蒙はそれを機に元からの儒者よりも多くの書物を読み、魯粛を感嘆させるほどになった。(※呉下の阿蒙にあらず)
蔣欽もよく学び、孫権は「大人になってからも積極的に自己の向上を目指す点で、呂蒙・蔣欽に並ぶ者はない。富裕になり貴顕の地位にあっても、驕ることなく学問に心を注ぎ、財貨を軽んじ義を尊び、人々の模範となるのが、二人とも国を代表する人物だというのは、まことに素晴らしいことではないか」と賛嘆した。(『呂蒙伝』)
豫章郡の討伐に出ている間に、徐盛(じょせい)は蔣欽の駐屯する宜城を守っていた(罪を犯した)蔣欽の配下を捕らえ、処刑しようとしたが、孫権は蔣欽の留守の間にやるべきではないと止めた。以来、徐盛は蔣欽に報復されるのではないかと疑心暗鬼となった。
濡須の戦いで蔣欽・呂蒙は総指揮を任され、徐盛はいよいよ報復されると常にびくびくしていたが、蔣欽は逆にしばしば徐盛を称賛した。徐盛は心服し、人々も蔣欽を称えた。
「江表伝」に曰く。
孫権が蔣欽に「徐盛はかつてあなたをあげつらったが、あなたは気にせず徐盛を推挙する。故事にならったのか」と尋ねると、蔣欽は「推挙には私怨を交えないと聞きます。徐盛は真心をもって勤めに励み、大胆で見通しが利き、実務能力もあり、1万の兵を指揮するに相応しい人物です。天下統一は未だならず、私には国家のために人材を探す義務があります。どうして私怨で有能な人材を隠したりしましょう」と答えた。(『蔣欽伝』)
呂蒙は魯粛の後任として兵権を得ると、関羽との同盟は長く続かないと考え、孫権に「孫皎(そんこう)に南郡を、潘璋(はんしょう)に白帝を守らせ、蔣欽に遊撃隊1万で長江を巡回させ、私が襄陽を落とせば、曹操も恐れるに足らず、関羽の力を借りる必要はありません」といずれ関羽を討伐すべきだと進言し、孫権も賛同した。(『呂蒙伝』)
219年、関羽との戦いでは水軍を率いた。帰還中に病没した。
孫権は哭礼を行い、200戸と田畑を遺族へ支給した。
子の蔣壱(しょういつ)が宜城侯に封じられ、兵を継ぎ夷陵の戦いで活躍したが、続く魏との戦いで討ち死にした。
蔣壱に子はなく、弟の蔣休(しょうきゅう)が後を継いだが、罪を犯し所領と官位を失った。(『蔣欽伝』)
陸機(りくき)は「弁亡論」で「韓当(かんとう)・潘璋・黄蓋・蔣欽・周泰らが国力を四方へ伸ばした」と記した。(『孫晧伝』)
陳寿は蔣欽を黄蓋・韓当・周泰・董襲・甘寧・凌統・潘璋・丁奉らと同伝に収め「みな江南の勇猛な臣であり、孫氏が手厚く遇した」と評した。
「演義」では周泰とともに水賊をしていたが、挙兵した孫策のもとに駆けつけ仕官したと設定。
弓の名手として活躍するが、南郡の戦いで曹仁に敗れて周瑜に処刑されかけたり、麦城の戦いで関羽と一騎打ちするも歯が立たずに撤退しとオリジナルエピソードで二流の将に描かれ、いつの間にか消息を絶ってしまう。
「蒼天航路」では弓使いの側面がさらにクローズアップされ、関羽と戦い討ち死にするも、隙を作り関羽を討ち取る契機となった。
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