周不疑 悲運の神童

周不疑(しゅうふぎ)字は元直(げんちょく)
荊州零陵郡重安県の人(192?~208?)
曹操の臣。
荊州牧の劉表(りゅうひょう)に仕えた劉先(りゅうせん)の甥。
幼少の頃から並外れた才能があり、聡明で優れた理解力を持っていた。(『劉表伝』)
劉先は同郡の劉巴(りゅうは)のもとで学ばせようとしたが、劉巴は故事を引き「甥御さんの鸞鳳のごとき美質を抑えつけ、燕雀のような私に指導させようとは、恥ずかしくて引き受けられません」と断られた。(『劉巴伝』)
曹操にも見込まれ、娘婿に迎えようとしたが周不疑は断った。
曹操の子で同じく神童とうたわれた曹沖(そうちゅう)の片腕になるだろうと思っていたが、208年に曹沖は13歳で早逝した。
曹操は切れ過ぎる周不疑を殺そうと考え、曹丕は反対したが「曹沖ならいざ知らず、お前に使いこなせる代物ではない」と言い、刺客を差し向けて暗殺させた。
その時、周不疑は17歳だった。既に「文論」4編を著していた。(『劉表伝』)
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