程秉 不遇の大学者

程秉(ていへい)字は徳枢(とくすう)
汝南郡南頓の人(?~?)
呉の臣。
大儒学者・鄭玄(じょうげん)に師事し学問を修めた。乱を逃れて、交州を治める士燮(ししょう)に仕えた。
士燮のもとには大学者の劉煕(りゅうき)も逃れてきており、二人で議論を交わし、おおいに学識を深めた。
その名声を聞き及んだ孫権に招かれ、太子の孫登(そんとう)の教育係を命じられる。孫登のために周瑜の娘をめとらせたが、孫登は若くして亡くなり、のちに二宮の乱(呉の家督争い)が起こる引き金となった。
三万字あまりの著作を残し、陳寿は厳畯(げんしゅん)、闞沢(かんたく)と並んで当代きっての学者であると評した。
ちなみに三国志に伝のある人物の中で唯一、自分の伝以外に全く名前の出てこない人物だというが、曹操の息子に山ほどいるので嘘である。
~演義での冷遇~
「演義」での程秉は完全なチョイ役で、出番は二回だけ。
赤壁の戦い前に、曹操への降伏を唱え諸葛孔明に論破されるのが一回目。
関羽のあだ討ちに乗り出した劉備のもとへ、和睦の印として張飛の仇・范彊(はんきょう)と張達(ちょうたつ)を送り届け、激怒した劉備に怒鳴られ、命からがら逃げ帰るのが二回目である。
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