陳式  不運な猛将



陳式(ちんしょく)字は不明
巴西郡安漢県の人?(181?~?)

蜀の将。

劉璋から劉備に仕え、定軍山や夷陵の戦いで大きな功績を挙げる。
北伐では先鋒として武都・陰平を次々と攻略。諸葛孔明とともに郭淮を挟撃し退けた。
このように「正史」では名将として名を馳せているが「演義」では全く逆のヘタレ武将となってしまう。
定軍山では捕虜にされ、北伐では命令無視の突撃で大敗し、孔明に処刑されたことになっているのである。

なぜこんな逆転現象が生じているかというと、俗説として陳式は「正史」の著者である陳寿(ちんじゅ)の父とされているのだ。陳寿は「正史」で諸葛孔明を「政治手腕は優れていたが戦下手」と評しているため、陳寿は父を処刑した孔明を恨んで悪く書いたのだとささやかれている。
そのため「演義」では陳式を処刑されるに値するヘタレ武将に描き、処刑した孔明に非がないようにしたのであろう。
しかし陳式=陳寿の父説はあくまでも俗説であり、陳寿の父は陳寿が成人するまで生きている。(陳寿は233年生まれ 諸葛孔明は234年に没した)
また陳寿は孔明を悪く言っているどころか「正史」の他に孔明の業績をまとめた「諸葛亮集」を著すなど大いに尊敬していると思われる。

陳式は「演義」で不当に名を落とした気の毒な武将の一人である。