張勲 袁術軍の重鎮

張勲(ちょうくん)字は不明
出身地不明(??~??)
袁術(えんじゅつ)の配下。
袁術軍では筆頭格で橋蕤(きょうずい)とともに大将軍に任じられている。
197年、橋蕤とともに徐州の呂布を攻めるが、陳珪(ちんけい)の離間策により配下の韓暹(かんせん)、楊奉(ようほう)が寝返り大敗を喫し、橋蕤も捕らえられた。(なぜか橋蕤はすぐに返還されている)
同年9月、劉寵(りゅうちょう)の陳国に侵攻し、劉寵を暗殺させ制圧した。
だが間もなく曹操が攻め寄せると、袁術は張勲、橋蕤に守備を命じて本拠地へ逃げ帰った。
橋蕤の他、名だたる将が討たれ陳国も奪取されたが、張勲は命からがら逃げ延びた。
199年、袁術が連敗の末に没すると張勲はかつて袁術に仕えていた頃に高く評価し、親交を結んでいた孫策を頼ろうとした。
しかしその途上、廬江太守の劉勲(りゅうくん)に捕縛され、同行していた楊弘(ようこう 「演義」では楊大将(ようたいしょう)の名で登場)とともにそのまま歴史から姿を消した。
「演義」では呂布との戦い後すぐに姿を消してしまい、きわめて地味な扱いである。
~ちくま版による誤解~
ちくま学芸文庫の「正史三国志 6」には張勲が曹操に降ったと記されるが、これは劉勲の誤記である。
それを参考にしたと思われるいくつかの創作で張勲が曹操に降ったとされてしまっている。
ちくま版の数多い誤記による弊害の一つである。
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