張悌 最後の丞相

張悌(ちょうてい)字は巨先(きょせん)
荊州襄陽郡の人(?~279)
呉の最後の丞相。
若い頃、諸葛孔明に推挙されて世に出た。
見識にすぐれ、魏の司馬昭(しばしょう)が蜀を攻めたとき、誰もが魏の敗北を予想するなか、張悌だけが勝つだろうと述べたため、人々に笑われた。しかし魏軍は蜀を見事に滅ぼし、張悌の言が正しかったことを示した。
張悌は順調に出世を重ね、279年には丞相にまで上り詰める。しかしその直後、晋の大軍が呉に攻めよせてきた。
張悌は長江を渡り先制を仕掛ける策を立てたが、副将の沈瑩(しんえい)は「長江を渡り一か八かの戦いを仕掛けもし敗れたら、国家の危機は決定的なものとなる」と反対した。
しかし張悌は「呉が滅亡しようとしていることは子供でも知っている。国家の危機はいまに始まったことではない。相手が長江を渡るのを許したら、民衆はここまで深く攻め込まれたのかと恐れおののくことだろう。逆転勝利を狙うにはこちらから仕掛けるしかない」と断言した。さらに「国家の危機に臨んで、一人も命を投げ出さないとは恥ずかしいではないか」と述べたため、沈瑩も張悌に従った。
だが圧倒的な戦力差を覆すことはできず、呉軍は大敗した。
諸葛靚(しょかつせい 諸葛誕の子)は逃亡をうながしたが、張悌は涙を流し「ここが私の死に場所である。かつて諸葛孔明殿に推挙されたとき私は、賢人の期待にこたえなくてはならないと思い続けてきた。国家に殉じることが、私にできる唯一の、期待にこたえるための方法だ」と諸葛靚の手を振り切り、晋軍に突撃し斬り死にした。
~余談~
張悌とともに長江を渡るさなか、柳栄(りゅうえい)という者が病死した。戦闘中だったため埋葬もできずそのまま寝かせていたところ、2日後に「軍師殿を縛るな!」と叫びながら飛び起きた。周囲の人々が驚いて事情を聞くと、柳栄は夢の中で北斗門(黄泉への入口)にたどりつき、軍師(張悌)が縛られているのを目撃した。
柳栄は「軍師殿を縛るな!」と騒いだため、門番に追い返され生き返ったのだという。
はたしてその日、張悌は夢のとおりに戦死した。
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