文聘  不器用ですから



文聘(ぶんぺい)字は仲業(ちゅうぎょう)
南陽郡の人(?~?)

劉表(りゅうひょう)とその息子に代々仕え、江夏(こうか)を守った。
劉表が死に、あとを継いだ息子が曹操に降伏したが、文聘は招集を断りつづけた。
やがて姿を現すと「いろいろと手段を考えましたが、やはり降るしかないようです。国を守れずに無念です」と男泣きにむせんだ。
曹操は「お前こそ真の忠臣だ」と激賞し、そのまま江夏の守りを任せることにした。

これだけ見ると頑固一徹で「不器用ですから」が口癖の人物に見えるが、それだけに終わらないのが文聘の面白さ。
孫権に大軍で攻められたとき、文聘の兵力は少なく、勝機はなかった。
そこで彼は「城からひとけをなくし、無人のようにしろ」と命じ、自らは部屋にこもって出てこなくなった。
それを聞いた孫権は「文聘は誰もが知る天下の忠臣。その彼が動かないとは、裏になにかあるに違いない」と攻撃を控え、ついにはなにもせずに撤退してしまった。
広く知られた自分の頑固さと不器用さを自覚し、それを策にいかしたのである。

文聘は江夏を守ること数十年、呉の攻撃を寄せつけず、仁政を布いた。
その威光は死後もつづき、あとを継いだ江夏の太守も文聘に次ぐ名将とうたわれた。


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