范彊  張飛を殺して名を残す



范彊(はんきょう)字は不明
出身地不明(??~??)

張飛の配下。

221年、夷陵の戦いを前に張飛の横暴に耐えかねてか、張達(ちょうたつ)とともに寝首を掻いて呉へ投降した。その後は登場しない。
劉備は以前から張飛の部下への横暴な振る舞いを案じており、張飛のもとから急報が届いた際、内容を聞く前にその死を悟ったという。

「演義」では関羽の仇討ち戦のため、3日以内に装備や軍旗を全て白装束に整えるよう無茶ぶりをされ、間に合わなければ殺されると恐れ、寝首を掻いて呉へ投降した。
その後、呉軍が劣勢に陥ると孫権は和睦の証として張飛の首とともに范彊&張達を返還し、張飛の遺児・張苞(ちょうほう)によってなます斬りにされた。

なお肖像がオカマなのは拙著「アイコン三国志」で張飛をおねえキャラに設定したことによる。