潘璋  武勇最高・人格最低

 

潘璋(はんしょう)字は文珪(ぶんけい)
東郡発干の人(177~234)

呉の将。

尊大な性格で金にがめつく、若い頃はつけで酒を飲み「いつか大富豪になったら払ってやる」と代金を踏み倒した。将となってからも戦が終わると軍用品を他の部隊に売りさばき私腹をこらした。
粗暴で部下を殺すこともいとわなかったため、彼の軍はよく規律に従い精強だった。合肥の戦いで呉軍が敗退したとき、後方にいた潘璋は前線に駆けつけ、逃げる味方を斬り捨てた。逃げても殺されるならと味方は反転し、魏軍の追撃を退けた。それを見た孫権は勇ましく思い潘璋を重用するようになった。
その後は朱然に従い関羽を捕らえ、陸遜のもとで劉備を破り、夏侯尚の大軍を撃退したりと大功を立てつづけた。
晩年は傲慢な性格がますます酷くなり、分不相応な衣装や調度を好みまるで皇帝のようにふるまった。富裕な部下や領民がいると殺して財産を奪うこともあったが、実力を買っていた孫権は見て見ぬふりをしたという。

「演義」では関羽の仇として早々に関興に斬られている。いくら実力があってもこんな性格では、創作上であっさり殺されるのもしかたないことだろう。