雍闓 建寧の親分

雍闓(ようがい)字は不明
益州建寧郡の人(??~224)
益州南部の豪族。
「演義」などではなかば蛮族として描かれるが、前漢の名将の末裔とされる。
223年、劉備が没した混乱に乗じ、太守を殺し反乱を起こした。李厳(りげん)が懐柔を図ったが「天に太陽は二つなく、地に二人の王はいないと聞くが、今や天下は三分されており、我々辺境の者は誰に従うべきか迷っているのだ」と反乱の正当性を主張した。
近隣の郡の有力者である高定(こうてい)や朱褒(しゅほう)もこれに加わり、永昌郡の呂凱(りょがい)だけが抵抗を続けた。
雍闓は呉に従属していた交州の士燮(ししょう)を通じて孫権に従属を申し入れ、人質にしていた張裔(ちょうえい)を送った。
孫権は喜んで永昌太守に任じ、勢いを得た雍闓らは永昌を攻めたが呂凱は巧みな指揮でそれを防いだ。
やがて諸葛亮は討伐軍を編成したが、開戦前に雍闓らは動揺から仲違いを起こし高定によって討たれた。
「演義」では南蛮王・孟獲に扇動されて挙兵。諸葛亮の討伐軍とも戦うが、離間策によってやはり高定の部下に討たれた。
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