李意其 無言仙人

李意其(りいき)字は不明
出身地不明(??~??)
蜀の山中に住む仙人。
非常に長寿で数百年にわたり李意其の記述が残っているが、前漢の文帝(ぶんてい)の時代(紀元前170年頃)の人物と思われる。
物乞いをして暮らしていたが、もらった物は貧しい人に分け与え、自身は夏も冬も同じ服を着て、成都(蜀の首都)の一角に穴を掘り、その中に住んだ。
吉凶を占ってもらおうと多くの人々が訪ねたが、無口なため何も答えないことがほとんどだった。
しかし吉のときは顔が晴れ、凶のときは顔が曇ったため、人々は李意其の顔色で吉凶を判断したという。
そしてあるとき、李意其は琅邪の山中にこもったきり、姿を現さなくなった。
三国志にも登場し、関羽の敗死後、呉への仇討ちに乗り出そうとした劉備に招かれ、戦の吉凶を占った。
李意其は紙を求めると、兵馬や武器の絵を何枚も描き、その全てを破り捨てた。そして最後に巨人の絵を描くと、それを地中に埋めて、何も言わず立ち去った。
劉備は不快に思い、占いを気にせず呉を攻めたが、陸遜に敗れた。
多くの兵を失い、自身も敗戦の悔恨からか病を得て、間もなく亡くなった。
李意其の占いはまさに、多数の兵馬の犠牲と、劉備の死を暗示していたのである。
なおこの肖像はもともと絵師が南華老仙(なんかろうせん)を描こうとしたが、南華老仙はもう描いていたことを思い出し、あぶれてしまった名も無き仙人で、それを筆者が勝手に李意其として採用したものである。
~李意其の仙術~
李意其が用いたという仙術をいくつか紹介する。
李意其の書いた護符を両脇に貼ると、一日に千里の道を往復できるほど早く走れたという。
「水滸伝」に登場する戴宗(たいそう)がよく似た術を使っており、そのモデルかも知れない。
遠く離れた土地の様子を語ることがあったが、人々はそれを信用しなかった。
すると李意其は粘土で街や人々の模型を造り、再現してみせた。模型の大きさは一寸足らずなのに非常に精巧で、しかもすぐに跡形もなく消えてしまったという。
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