劉艾 献帝を間近で記録する

劉艾(りゅうがい)字は不明
出身地不明(??~??)
後漢の臣。
190年、孫堅は董卓軍を次々と撃破し洛陽へ入った。董卓は長史の劉艾(※同名の別人の可能性がある)に「関東の諸将は弱く無能ばかりだが、孫堅は少しマシな方だ。警戒しろ」と言い、配下に注意を促した。(『後漢書 董卓伝』)
「山陽公載記」には董卓と劉艾の会話がさらに詳しく記されており、劉艾は(後漢の臣と同一人物なら)孫堅を警戒するに値しないと言うなど、董卓の油断を誘っているようにも読める。(『孫堅伝』)
194年、三輔(首都周辺)で旱魃が起こり食糧が不足した。
「袁宏紀」に曰く、侍中の劉艾は勅命を受けて調査し、役人が米の量をごまかしている不正を告発した。(『後漢書 献帝紀』)
「献帝起居注」に曰く。
献帝が董卓残党の支配する長安を脱出しようとすると、郭汜(かくし)の兵が道を阻んだ。
侍中の劉艾は「天子様だ!」と大声で叫び、楊琦(ようき)に命じて車の御簾(すだれ)を上げさせた。献帝は「お前たちは下がりもせず、なぜ私の近くまで迫るのか」と叱咤し、郭汜の兵は道を空け、通過すると万歳を叫んだ。
「献帝紀」に曰く。
献帝は黄河を渡り東に向かおうとしたが、楊彪(ようひょう)が「ここは私の故郷で、そこは流れが早くとても渡れません」と反対し、劉艾も「私も(近くの)陜県の県令を務めたことがあり、楊彪の言う通りです」と同意したため取りやめた。(『董卓伝』)
「献帝紀」の著者は劉艾である。(『後漢書 献帝紀』)
「漢紀」に曰く。
王立(おうりつ)は天文を見て同じく渡河に反対した。さらに宗正の劉艾に「漢の命運は尽き、晋・魏に興隆する者が現れる」と語った。(『武帝紀』)
197年、献帝は曹操に迎え入れられた。
「袁宏紀」に曰く、彭城国相の劉艾らが列侯された。(『後漢書 董卓伝』)
「献帝起居注」に曰く。
214年、王邑(おうゆう)と宗正の劉艾が使者となり、曹操の二人の娘を献帝の貴人(側室)として宮中へ迎え入れた。
「献帝伝」に曰く。
216年、使持節行御史大夫・宗正の劉艾が使者となり、曹操を魏王に即位させた。(『武帝紀』)
「演義」では王立の予言を聞く逸話のみ描かれる。
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