三国志 歴史
03 曹操の躍進

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ここでは三国志ビギナー向けにおおまかな説明をしています。
筆者は学者でもなんでもないただの三国志ファンなので話半分で読んでいただきたいが、大体合っているはずである。


◆曹操の躍進

黄巾賊によって支配されていた青州へ討伐に向かった兗州刺史の劉岱  が戦死し、曹操  が後任の兗州刺史となった。

青州の黄巾賊は驚くべきことに曹操に全面降伏し、
兵士30万人・民衆100万人もの莫大な戦力と労働力が曹操の手に入った。

さらに侵攻してきた袁術  を返り討ちにして揚州へ追いやり、地盤を固めた。

だがここで事件が起こる。曹操の父である曹嵩  が敵対する徐州刺史の陶謙  に殺されてしまう。

曹操はすぐさま報復に乗り出し、徐州へ侵攻し大虐殺を働いた。強大な戦力を得たことをアピールする示威行動の側面もあっただろう。
しかしこの虐殺により多くの人々が曹操への恨みを募らせ、後に孫権  の重臣となった者も多く、禍根を残すこととなった。
陶謙
に勝ち目はなく、このまま滅亡を迎えるかと思われた時、兗州で異変が起こった。

呂布  が兗州を乗っ取ったのである。


◆呂布の反乱と劉備の飛躍

曹操  の親友で董卓  追討軍でもともに戦った張邈  ・張超  兄弟は突如として裏切り、呂布  を担ぎ上げて兗州を乗っ取った。

曹操は徐州からの撤退を余儀なくされ、陶謙  は命拾いした。

兗州は曹操配下  の奮闘でたった2県だけを死守しており、それを足掛かりに曹操は反撃する。
呂布は手強く曹操も負傷するほどで戦線は膠着したが、蝗害(イナゴ被害)によって呂布は兵糧を失って敗走し、兗州の奪回に成功した。張邈・張超はともに殺された。

そしてこの時、老齢だった陶謙が病死し、徐州刺史の座を意外な人物に譲る。

援軍として来ていた劉備  である。ここまで表舞台に現れなかった劉備が初めて歴史に名を刻んだ瞬間だった。
しかし間もなく劉備は、庇護を求めてきた呂布に徐州を乗っ取られてしまった。


◆後漢王朝の守護者に

この頃、長安から脱出し旧都の洛陽へ逃げ込んだ献帝  は、曹操  に庇護を求めた。これにより曹操後漢王朝の守護者という旗印と大義名分をも手に入れた。

そして董卓残党  を退治し、荒廃していた長安・洛陽を捨てて、許昌へと遷都した。

降伏させた張繡  に油断から裏切られ、子や甥や腹心  を殺されたが、劉備  と共闘し呂布  と袁術  を討ち果たすことにも成功した。

こうして中央部のほとんどを制圧した曹操に最大の強敵が立ちはだかる。

北方全域を支配下に置いた袁紹  である。

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