三国志 れ


令狐華  令狐邵の子


令狐華(れいこか)字は不明
并州太原郡の人(??~??)

魏の臣。
令狐邵(れいこしょう)の子。

249年、一族の令狐愚(れいこぐ)が王凌(おうりょう)とともに謀叛を企んでいたことが発覚した。
令狐愚は既に没していたため墓を暴かれ、一族の多くが処刑された。
令狐華(れいこか)はかつて父が太守を務めた弘農郡で郡丞をしていたが、遠縁のため連座を免れた。(『倉慈伝』)



令孤愚  愚か者


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令狐景  曹芳に殴られ焼かれ諦める


令狐景(れいこけい)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の臣。

「王沈魏書」に曰く。
司馬師らは曹芳の廃位を求める上奏の中で「郭懐(かくかい)・袁信(えんしん)らつまらぬ役者を宮殿に引き入れ、全裸で保林の女尚(じょしょう)らと乱交させた。妖婦の恰好をさせて悪ふざけさせたり、親族の女性と酒席で乱交させた。
保林の李華(りか)・劉勲(りゅうくん)ともいちゃつき、清商令(※女官長)の令狐景が叱りつけると、李華・劉勲は曹芳に言いつけ、曹芳はハジキ(※弾棊に使うスティック?)で令狐景の頭や目を殴り、なおもひるまず「先帝(曹叡)は家中を厳しく取り締まったのに、陛下は毎日皇妃らと遊び戯れ限度を知りません。彼女らと役者が全裸で乱痴気騒ぎをしたことなどとても郭太后(かくたいこう)に聞かせられません。私は死にたくありませんが陛下のためを思って言うのです」と諫言されると鉄を熱して全身を焼いた。
(251年、)甄皇后(しんこうごう)が没すると曹芳は寵愛する王貴人(おうきじん)を立后しようとしたが、郭太后は外部から探そうとしたため、曹芳は令狐景に「魏の王室(※曹操・曹丕・曹叡)は全て愛情で皇后を選んだではないか」と立腹し、郭太后が選んだ張皇后(ちょうこうごう)を疎んじた。
郃陽君(こうようくん ※郭太后の母)が没しても喪に服さず、龐煕(ほうき)の諫言も聞かなかったため郭太后が怒って曹芳のお気に入りの張美人(ちょうびじん)と禺婉(ぐえん)を殺すと「母子の縁を切る」と宣言した。令狐景・龐煕は迫害された末に恐れからこびへつらうようになった」と弾劾した。(『斉王紀』)



令狐邵  令狐愚の破滅を予見


令狐邵(れいこしょう)字は孔叔(こうしゅく)
并州太原郡の人(??~??)

魏の臣。

父は後漢の烏丸校尉を務めた。
196年頃、冀州の鄴に移住した。
204年、毛城に駐留した時、曹操が鄴を制圧し、毛城も陥落させた。令狐邵は捕虜となり危うく処刑されかかったが、引見した曹操が彼の衣冠を不審に思い素性を尋ねると、父と旧知の仲だったため釈放され、軍謀掾に取り立てられた。

郡太守を歴任し、丞相主簿を経て弘農太守に赴任した。どの任地でも氷雪のように清潔で、下役からも大いに慕われた。
当時、郡内に経書を理解する者がいなかったため、希望者を募り河東郡の大学者である楽詳(がくしょう)のもとで学ばせた。そのため弘農は一転して学問の盛んな土地となった。

220年頃、都に召され虎賁中郎将にまで上ったが、3年後に病没した。

甥の令狐愚(れいこぐ)は無官の頃から大志を抱き、人々は彼が家を栄えさせると噂した。
だが令狐邵だけは「令狐愚は奔放で徳を修めず大言壮語している。きっと一族を滅ぼすだろう」と危惧していた。

令狐邵が虎賁中郎将に上った頃、すでに令狐愚は多くの官職を歴任し評判を取っていた。令狐愚は彼に会うと「以前あなたは私が一族を滅ぼすと言ったそうですが、私は結局どうなりましたか」と皮肉を吐いた。
令狐邵はただ見つめるだけで何も言わなかったが、家に帰ると妻子に「令狐愚の性根は何も変わっておらず、最後は破滅するに違いない。私が生きているうちかはわからないが、お前たちは巻き込まれるだろう」と言った。

249年、令狐愚が王凌(おうりょう)とともに謀叛を企んでいたことが発覚した。
令狐愚は既に没していたため墓を暴かれ、一族の多くが処刑された。
だが令狐邵の子の令狐華(れいこか)は、遠縁のため連座を免れた。

陳寿は魏の歴史の中で優秀な太守5人の中に令狐邵を入れている。(『倉慈伝』)



冷苞  三国一のチャラ男


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黎晃  九真郡で反乱した李祚の舅


黎晃(れいこう)字は不明
出身地不明(??~??)

呉の臣。

九真郡の功曹の李祚(りそ)が反乱し晋に寝返った。
陶璜(とうこう)が討伐したがなかなか城を落とせなかった。配下に李祚の舅の黎晃がいたため、降伏勧告をさせた。だが李祚は「私は晋の、あなたは呉の臣です。ただ力を尽くし職務に従事するだけです」と拒否した。季節が変わるまで城は落ちなかった。(『晋書 陶璜伝』)



黎韜  楊戯の身持ちの悪い幼馴染


黎韜(れいとう)字は不明
益州巴西郡の人(??~??)

蜀の臣?

身持ちが悪く誰からも相手にされなかったが、幼馴染の楊戯(ようぎ)だけは昔通りの友情を示し、暮らしに配慮し援助してやった。(『楊戯伝』)



黎斐


未作成



廉昭  弾劾大好き


廉昭(れんしょう)字は不明
青州楽安郡の人(??~??)

魏の臣。

才能があり尚書郎に抜擢されたが、問題を探して発言するのを好み、多くの人物を弾劾した。
杜恕(とじょ)はそれに対して上奏し「曹璠(そうはん)が弾劾された時、上司の陳矯(ちんきょう)は自ら連座を申し出て責任を取ると言った。立派な態度であり、有能な彼を言うがままに処罰するのは無益である。
曹叡陛下は率先して職務に励んでいるが、配下の者は力を発揮しきれていない。たとえば王才(おうさい)と孟思(もうし)が大事件を起こした時、それを告発したのは大臣ではなく小役人だった。
しかし各人の能力に応じて適材適所に割り当てていないのは、陛下にも問題はある。人事に私情を持ち込ませまいと法を改正したが、孔羨(こうせん)は司馬懿におもねろうと、弟の司馬通(しばつう)のような愚者を招聘した。
廉昭の弾劾にいちいち耳を傾けず、天下の利害と、政治の長短を考えてください」と、廉昭もろとも曹叡をも批判した。(『杜畿伝』)

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