三国志 演義


阿会喃 出席番号1番


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晏明  もう一人の三尖刀使い


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雲英  ゲス不倫カップル


雲英(うんえい)字は不明
出身地不明(??~??)

「演義」オリジナルキャラ。

董承(とうじょう)の妾である雲英は、下僕の秦慶童(しんけいどう)と密通したため董承に棒打ちされた。
それを逆恨みし、秦慶童は董承の曹操暗殺計画を密告し、一族郎党もろとも処刑させた。



衛凱  衛覬の書き間違い


衛凱(えいがい)字は不明
出身地不明(??~??)

「演義」オリジナルキャラ。

魏の侍中で、王粲らとともに曹操を魏王に立てようとした。

厳密にはオリキャラではなく、同様の事績があり字面のよく似た衛覬(えいき)の誤記または改名と思われる。



衛弘  曹操を資金援助


衛弘(えいこう)字は不明
兗州陳留の人(??~??)

大富豪。「演義」オリジナルキャラ。

孝廉に推挙されたが仕官せず、かねてより英雄を支援したいと考えており、董卓暗殺に失敗し逃亡してきた曹操を資金援助した。

曹操の挙兵を助けた実在する衛茲(えいじ)という人物が、出身地が同じで、孝廉に推挙されたとも記されており、モデルと思われる。



衛道玠  蔡文姫の(架空の)前夫


衛道玠(えいどうかい)字が道玠か
出身地不明(??~??)

蔡文姫の最初の夫。「演義」オリジナルキャラ。

名前だけが記される。
史実では蔡文姫の最初の夫は衛仲道(えいちゅうどう)。「演義」でまま見られる謎の改名、あるいは誤記の一例である。



越吉  西羌の戦車乗り


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王瓘  王経の(偽りの)甥


王瓘(おうかん)字は不明
出身地不明(??~260)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

姜維が祁山を攻めた際、先に処刑された王経(おうけい)の甥を名乗り、偽って降伏した。
だがもともと魏に仕えていた夏侯覇は彼を知っており「王経の甥だとは聞いたこともない」と疑い、姜維も「王経は三族皆殺しになったのに甥が生きている訳がない」と看破していた。
姜維は騙されたふりをして王瓘に兵糧を輸送させ、鄧艾をおびき寄せて撃破した。
しかし本当に兵糧を輸送させていたため、王瓘は兵糧を燃やし、さらに鄧艾を逃がすためあえて敵中深くへと進撃し、桟道を焼き払った。
追撃された王瓘は川に身を投げたものの、兵糧と桟道を失った蜀軍は撤退を余儀なくされた。

登場人物全員が馬鹿としか思えない逸話である。



王垕  責任逃れで殺される


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王植  胡班なんて死ねばいい


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王真  滅多刺し


王真(おうしん)字は不明
出身地不明(??~258)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

司馬望(しばぼう)の配下。同じくオリキャラの李鵬(りほう)とともに蜀軍を攻めたが、傅僉(ふせん)に小脇に抱えられ生け捕りにされた。
李鵬が救出しようとすると、傅僉は王真を地面に投げ落とし、鉄扇で李鵬の顔面を叩き割った。その間に王真は周囲の兵によって滅多刺しにされた。



王韜  泉に祈るべし


王韜(おうとう)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の臣。「演義」オリジナルキャラ。

司馬昭は姜維に敗れ山上で包囲され、小さな泉しかなく水が足りず窮地に陥った。
すると王韜が故事を引いて泉に水乞いするよう進言し、司馬昭がその通りに祈ると水がこんこんと湧き出し、魏軍は息を吹き返した。
その後、陳泰(ちんたい)が姜維と共闘する羌族を騙し討ちにして降伏させ、司馬昭を救助した。

史実では司馬昭がのこのこ前線に出てきたりしないので全くの創作である。



汪昭  徐晃に秒殺


汪昭(おうしょう)字は不明
出身地不明(??~202)

袁譚(えんたん)の配下。「演義」オリジナルキャラ。

黎陽を攻める曹操軍を迎え撃ち、徐晃に秒殺された。だけ。



戈定  太史慈の貧乏神


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花永  王経四天王


花永(かえい)・朱芳(しゅほう)・張明(ちょうめい)・劉達(りゅうたつ)いずれも字は不明
いずれも出身地不明(??~??)

魏の将たち。全員「演義」オリジナルキャラ。

王経(おうけい)の配下たち。255年、四将は背水の陣を敷いた姜維を攻撃し、普通に敗走した。
以降は登場せず、なぜわざわざ4人もオリキャラを作ったのか意味不明である。



夏恂  張苞にビビる


夏恂(かしゅん)字は不明
出身地不明(??~221?)

呉の将。「演義」オリジナルキャラ。

韓当(かんとう)の呼びかけに応え蜀軍に挑むが、張苞(ちょうほう)の大喝におびえる。
馬首を返そうとしたが周平(しゅうへい)が後に続いたため引くに引けず、そのまま一突きで殺された。

「横山三国志」にも名前は出てこないが登場。張苞にビビりこそしなかったが1ページで討たれた。
ちなみに顔は張翼(ちょうよく)に酷似している。



夏侯恩  レアドロップは青釭の剣


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夏侯傑  三国一の小心者


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夏侯存  関羽か関平に斬られる


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夏侯徳  厳顔に斬られる


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夏侯令  夏侯文寧と同一人物


夏侯令(かこうれい)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の臣。「演義」オリジナルキャラ。
厳密に言うとオリキャラではなく、実在する夏侯文寧(かこうぶんねい)と同一人物。
彼の娘の夏侯令女(かこうれいじょ)を夏侯令の女(むすめ)と読み間違えた結果生まれた。

事績は夏侯文寧と全く同じで、未亡人となった夏侯令女(ただし「演義」中では名前は出てこず曹文叔(そうぶんしゅく)の妻と記される)に再婚を勧めたが、貞節を貫くため両耳を削ぎ落とされてしまった。



賈華  暗殺未遂犯


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雅丹  西羌の科学力は世界一ィッ!


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俄何焼戈  羌族の氷帝


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郭常  馬鹿息子の老父


郭常(かくじょう)字は不明
出身地不明(??~??)

老人。「演義」オリジナルキャラ。

かねてから関羽を尊敬しており、千里行を終えた彼をもてなした。
息子が無頼を気取って遊び歩いていることを嘆いていたが、息子はその夜に赤兎馬を盗もうとして蹴り倒された。
関羽は成敗しようとしたが、郭常が懸命に詫びたため許した。

翌日、出立した関羽の前に赤兎馬を奪おうと黄巾賊の残党が百人あまり現れ、その中に息子の姿があった。
だが関羽が名乗ると頭目の裴元紹(はいげんしょう)は驚き馬から転げ落ち、息子の頭を下げさせ、臣従を申し出て周倉(しゅうそう)に引き合わせた。

余談だがその後、裴元紹は趙雲の馬を盗もうとして殺されており、関羽にエンカウントしておきながら警戒心がなさすぎると思う。



鄂煥  ムエタイの力思い知れ


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葛雍  毌丘倹の(架空の)腹心


葛雍(かつよう)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

255年、毌丘倹(かんきゅうけん)の反乱に従う。
要害の南頓を先に抑えるよう進言したが、すでに王基(おうき)に先回りされていた。
その後、援軍に駆けつけた鄧艾に挑みかかるも瞬殺された。



干休  急げ孫休


干休(かんきゅう)字は不明
出身地不明(??~??)

謎の老人。「演義」オリジナルキャラ。

258年、孫綝(そんちん)は二代皇帝の孫亮(そんりょう)を廃位すると、孫休(そんきゅう)を次期皇帝として都に呼んだ。
その際、干休は遅れれば異変が起こるので急ぐよう進言した。

史実にも同じ進言をする謎の老人がおり、それに命名したものと思われる。
渡辺精一は「孫休に干渉した、孫休に干(もと)めた」から命名されたと推測している。



関定  関平の(架空の)父


関定(かんてい)字は不明
出身地不明(??~??)

関平の父。「演義」オリジナルキャラ。

千里行を終えた関羽を息子の関寧(かんねい)・関平とともにもてなした。
劉備が関羽と合流すると、関定は次男の関平を奉公させたいと申し出た。劉備は関羽は子供がいないから養子に取ればいいと勧め、義父子となった。

なお史実では関平は関羽の実子である。

「吉川三国志」では関寧は儒学を、関平は武芸を学んだと設定が追加され、劉備の方から関平を養子にするよう持ちかけた。

「横山三国志」では劉備は兄弟ともに見どころがあると感じ、関定が長男は家を継ぐから次男ならと関平を勧める経緯にアレンジされた。ちなみに関寧の方が強そうな顔をしている。



関寧  関平の(架空の)兄


関寧(かんねい)字は不明
出身地不明(??~??)

関平の兄。「演義」オリジナルキャラ。

千里行を終えた関羽を父の関定(かんてい)・関平とともにもてなした。
劉備が関羽と合流すると、関定は次男の関平を奉公させたいと申し出た。劉備は関羽は子供がいないから養子に取ればいいと勧め、義父子となった。

なお史実では関平は関羽の実子である。

「吉川三国志」では関寧は儒学を、関平は武芸を学んだと設定が追加され、劉備の方から関平を養子にするよう持ちかけた。

「横山三国志」では劉備は兄弟ともに見どころがあると感じ、関定が長男は家を継ぐから次男ならと関平を勧める経緯にアレンジされた。ちなみに関寧の方が強そうな顔をしている。



韓瑛  コンスコン隊四兄弟


韓瑛(かんえい)・韓瑶(かんよう)・韓瓊(かんけい)・韓琪(かんき)字は全員不明
涼州西涼の人(??~228)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。
韓徳(かんとく)の子の四兄弟。

228年、蜀軍が北伐に乗り出した時、韓徳は西涼から8万の兵を引き連れ夏侯楙(かこうぼう)のもとへ駆けつけた。
先鋒の趙雲へ自慢の息子たちを向かわせ、長男の韓瑛は槍、次男の韓瑶は薙刀、三男の韓瓊は方天戟と弓、四男の韓琪は一対の日月刀を振るったが、70歳にして依然チート能力者の趙雲の敵ではなく、まず韓瑛が三合もたずに討たれ、残り三人は全員で挑んだが全く歯が立たず、韓瓊・韓琪も討たれ、韓瑶は生け捕られた。
後日に韓徳が報復を挑むも三合もたなかった。

「横山三国志」では四兄弟で5ページ、父を合わせて7ページで趙雲に討ち取られ、韓瑶もその場で殺される。

「ニコニコ大百科」には驚くべきことに4人の息子それぞれの記事があるが、秒殺っぷりを「機動戦士ガンダム」でアムロに3分で12機落とされたコンスコン隊のリックドムにたとえられている。



韓琪  コンスコン隊四兄弟


韓瑛(かんえい)・韓瑶(かんよう)・韓瓊(かんけい)・韓琪(かんき)字は全員不明
涼州西涼の人(??~228)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。
韓徳(かんとく)の子の四兄弟。

228年、蜀軍が北伐に乗り出した時、韓徳は西涼から8万の兵を引き連れ夏侯楙(かこうぼう)のもとへ駆けつけた。
先鋒の趙雲へ自慢の息子たちを向かわせ、長男の韓瑛は槍、次男の韓瑶は薙刀、三男の韓瓊は方天戟と弓、四男の韓琪は一対の日月刀を振るったが、70歳にして依然チート能力者の趙雲の敵ではなく、まず韓瑛が三合もたずに討たれ、残り三人は全員で挑んだが全く歯が立たず、韓瓊・韓琪も討たれ、韓瑶は生け捕られた。
後日に韓徳が報復を挑むも三合もたなかった。

「横山三国志」では四兄弟で5ページ、父を合わせて7ページで趙雲に討ち取られ、韓瑶もその場で殺される。

「ニコニコ大百科」には驚くべきことに4人の息子それぞれの記事があるが、秒殺っぷりを「機動戦士ガンダム」でアムロに3分で12機落とされたコンスコン隊のリックドムにたとえられている。



韓瓊  コンスコン隊四兄弟


韓瑛(かんえい)・韓瑶(かんよう)・韓瓊(かんけい)・韓琪(かんき)字は全員不明
涼州西涼の人(??~228)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。
韓徳(かんとく)の子の四兄弟。

228年、蜀軍が北伐に乗り出した時、韓徳は西涼から8万の兵を引き連れ夏侯楙(かこうぼう)のもとへ駆けつけた。
先鋒の趙雲へ自慢の息子たちを向かわせ、長男の韓瑛は槍、次男の韓瑶は薙刀、三男の韓瓊は方天戟と弓、四男の韓琪は一対の日月刀を振るったが、70歳にして依然チート能力者の趙雲の敵ではなく、まず韓瑛が三合もたずに討たれ、残り三人は全員で挑んだが全く歯が立たず、韓瓊・韓琪も討たれ、韓瑶は生け捕られた。
後日に韓徳が報復を挑むも三合もたなかった。

「横山三国志」では四兄弟で5ページ、父を合わせて7ページで趙雲に討ち取られ、韓瑶もその場で殺される。

「ニコニコ大百科」には驚くべきことに4人の息子それぞれの記事があるが、秒殺っぷりを「機動戦士ガンダム」でアムロに3分で12機落とされたコンスコン隊のリックドムにたとえられている。



韓禎  西羌軍が来たぞーっ!


韓禎(かんてい)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

西平関の守将。西羌の兵が攻め寄せたことを諸葛亮に報せた。だけ。



韓徳  4人の息子が全滅? 10合も経たずにか?


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韓福  関羽に(無駄に)矢傷を負わせた男


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韓瑶  コンスコン隊四兄弟


韓瑛(かんえい)・韓瑶(かんよう)・韓瓊(かんけい)・韓琪(かんき)字は全員不明
涼州西涼の人(??~228)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。
韓徳(かんとく)の子の四兄弟。

228年、蜀軍が北伐に乗り出した時、韓徳は西涼から8万の兵を引き連れ夏侯楙(かこうぼう)のもとへ駆けつけた。
先鋒の趙雲へ自慢の息子たちを向かわせ、長男の韓瑛は槍、次男の韓瑶は薙刀、三男の韓瓊は方天戟と弓、四男の韓琪は一対の日月刀を振るったが、70歳にして依然チート能力者の趙雲の敵ではなく、まず韓瑛が三合もたずに討たれ、残り三人は全員で挑んだが全く歯が立たず、韓瓊・韓琪も討たれ、韓瑶は生け捕られた。
後日に韓徳が報復を挑むも三合もたなかった。

「横山三国志」では四兄弟で5ページ、父を合わせて7ページで趙雲に討ち取られ、韓瑶もその場で殺される。

「ニコニコ大百科」には驚くべきことに4人の息子それぞれの記事があるが、秒殺っぷりを「機動戦士ガンダム」でアムロに3分で12機落とされたコンスコン隊のリックドムにたとえられている。



吉平  (毒)薬でございます


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丘本  綿竹関攻略に貢献


丘本(きゅうほん)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

263年、蜀に侵攻した鄧艾は綿竹関を包囲するが、守る諸葛瞻(しょかつせん)に苦戦。
丘本は降伏勧告をするよう進言したが、諸葛瞻はその使者を斬り捨てた。
鄧艾が激怒し攻撃を命じると、丘本はそれをなだめ諸葛瞻をおびき出し伏兵で叩くよう献策した。
策は当たり蜀軍は大打撃を被り、呉の援軍を待ちあぐねた諸葛瞻は出撃し、敗れて戦死した。



仇連  当たり前に処刑される


仇連(きゅうれん)字は不明
出身地不明(??~238)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

238年、司馬懿は反乱した公孫淵(こうそんえん)の討伐に向かったが、長雨に足止めされた。1月あまりも降り続いたため裴景(はいけい)はいったん陣を高所へ移すよう進言したが、司馬懿は優勢なのに動くことはないと却下し、また同じことを言ったら処刑すると厳命した。
そこへ仇連がすぐさま考え直していただきたいと言ったところ、ただちに処刑された。
当たり前である。

史実では張静(ちょうせい)が全く同じ流れで処刑されており、わざわざオリキャラを作った理由はよくわからない。



鞏志  なにげにスナイパー


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龔起  王双に返り討ち


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龔景  劉備に助けられる


龔景(きょうけい)字は不明
出身地不明(??~??)

後漢の臣。「演義」オリジナルキャラ。

青州太守。なお太守は郡の役職なので青州刺史が正しいが、同時期に登場する劉焉(りゅうえん)も同様に幽州太守と書かれており、「演義」第一回とあって記述が適当である。

184年、城を黄巾賊に包囲され劉焉に救援を求めた。
劉焉はただちに鄒靖(すうせい)と、デビュー戦を飾ったばかりの劉備・関羽・張飛ら三兄弟を送り、彼らの活躍で龔景は窮地を脱した。

「横山三国志」ではその後、転戦する劉備を見送り鄒靖とともに「立派な若武者だ。家来にしたい」と賛嘆した。



金環三結  友情パワーなど認めぬ


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邢道栄  みんな大好き邢道栄


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奚泥  焼き魚


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厳氏  私のことは気にしないで


厳氏(げんし)名や字は不明
出身地不明(??~??)

呂布の正室。「演義」オリジナルキャラだが事績は実在の呂布の妻と一致している。

呂布は董卓を暗殺したがその残党に襲撃され長安の都を追われた。その際に厳氏ら妻子は置き去りにされたが、龐舒(ほうじょ)に匿われたため無事だった。
その後呂布のもとに戻る。曹操軍に城を包囲されると、呂布は陳宮(ちんきゅう)・高順(こうじゅん)に城を守らせ、自身は城外に布陣する策を立てた。
だが厳氏は陳宮と高順の不仲を指摘し、以前に長安に置き去りにされたことを蒸し返すと「また城を落とされてしまうかも知れませんが、でも私のことは気にしないでください」と釘を差した。
これにより呂布は計画を取りやめ、籠城を続けて行き、陳宮でも高順でもない別の配下の裏切りにより捕らえられるのだった。

以上の事績は「英雄記」に記されている。「演義」は無名の彼女に厳氏と命名したのだろう。
その最期は不明だが「演義」では呂布の死後に許都に送られたと記される。
またKOEIの作品では呂玲綺(りょれいき)の母に設定された。

なお「三国志集解」には呂布の妻は魏氏(ぎし)と記されている。



厳政  黄巾の裏切り者


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胡華  胡班への手紙


胡華(こか)字は不明
出身地不明(??~??)

老人。「演義」オリジナルキャラ。

曹操のもとを離れ劉備のもとへ向かう関羽が、道中で一夜の宿を求めた屋敷の主。
桓帝の時代に議郎を務めていたと名乗り、滎陽を通ったら息子の胡班(こはん)に手紙を渡して欲しいと頼んだ。わりと図々しい。

その後、滎陽を守る王植(おうしょく)は関羽をもてなすふりをし、焼き討ちしようと企んだが、彼に仕えていた胡班に気づき、関羽は父からの手紙を渡した。
一読した胡班は己の過ちを知り、密謀を知らせ関羽を無事に逃がした。



胡忠  木牛・流馬を大量生産


胡忠(こちゅう)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

北伐に赴いた諸葛亮は、胡忠・杜叡(とえい)に大工を監督させ木牛・流馬を大量生産させた。だけ。



胡班  関羽を救った男


胡班(こはん)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

200年、曹操のもとを離れ劉備のもとへ向かう関羽は、道中で胡華(こか)に一夜の宿を求めた。
胡華は滎陽を通ったら息子の胡班に手紙を渡して欲しいと頼んだ。

その後、滎陽を守る王植(おうしょく)は関羽をもてなすふりをし、焼き討ちしようと企んだが、彼に仕えていた胡班に気づき、関羽は父からの手紙を渡した。
一読した胡班は己の過ちを知り、密謀を知らせ関羽を無事に逃がした。

胡班は後に関羽に仕え、命を救われた恩返しに側近として遇された。
219年、漢中王となった劉備は関羽を五虎大将に任じた。胡班は返礼の使者として都に上ったため、荊州陥落の難を逃れた。

関羽が戦死したため張飛の配下に移ったが、張飛も部下に暗殺されてしまい、胡班は劉備のもとへ報告に向かった。
だがこの時(立間章介の日本語訳のみ?)呉班(ごはん)と誤記される痛恨のミスにより出番を奪われた。
以降は登場しない。

「吉川三国志」・「横山三国志」でも誤記を踏襲され、張飛の死は呉班が報告している。



呉押獄  青嚢書を託されるも


呉押獄(ごおうごく)字は不明
出身地不明(??~??)

牢番。「演義」オリジナルキャラ。
渡辺精一は本名ではなく「牢番の呉さん」という意味だと指摘している。

曹操の逆鱗に触れ投獄された三国一の名医・華佗(かだ)の世話を焼いた。
華佗は医術を記した「青嚢書」をお礼に彼に託した後に処刑された。
呉押獄は医師になり楽して暮らせると喜び、牢番の仕事も辞めてしまうが、彼の妻は「華佗のようになれても牢屋で死ぬのなら意味がない」と青嚢書を焼いてしまう。
呉押獄はあわてて焼け残りをあさったが、記されていたのは「鶏や豚の去勢方法」くらいだった。

史実でも華佗は牢番に医術を記した書物を託そうとしたが、処罰を恐れた牢番はそれを固辞したため、華佗は自ら書を焼き捨てたという。



呉国太  継母はオリキャラ


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孔秀  関羽千里行トップバッター


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苟安  絵に描いたような逆恨み


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高昇  張飛に討ち取られる


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黄奎  ピロートークに御用心


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左咸  関羽の処刑を進言


左咸(さかん)字は不明
出身地不明(??~??)

呉の臣。「演義」オリジナルキャラ。

関羽が呉軍に捕らえられると、孫権はその剛勇を惜しみ召し抱えたいと考えた。
左咸はかつて曹操も同じことを考え手厚くもてなしたが、関羽の心は変わらず彼のもとを去り、その後には都に迫られ遷都まで検討したことを指摘し、後顧の憂いを断つべしと処刑を進言し、やむなく孫権もそれに同意した。

関羽の最大の仇といってよい人物で、捕縛した潘璋(はんしょう)や馬忠(ばちゅう)、呉に寝返った糜芳(びほう)、傅士仁(ふしじん)ら史実では生きながらえている人々が「演義」では次々と殺されていくなか、死なないどころかそもそも再登場しなかった。

「正史」の注にも左咸と同様の進言をする人物がいるが、単に側近と書かれ、また裴松之は「関羽は捕縛後すぐに斬られており、わざわざ孫権のもとに引き立てられていない」と妄言だと一蹴している。

「吉川三国志」にも登場するが、「横山三国志」では名前は出てこない。



崔禹  朱然の相棒


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崔勇  徐晃のデビュー戦を飾る


崔勇(さいゆう)字は不明
出身地不明(??~??)

郭汜(かくし)の配下。「演義」オリジナルキャラ。

献帝が李傕(りかく)・郭汜らの牛耳る長安を脱出すると、李傕から離反し潜伏していた楊奉(ようほう)が護衛に駆けつけた。
郭汜が崔勇を派遣し、自分を棚に上げて楊奉を逆賊と罵らせると、徐晃が出撃し、崔勇を一刀両断した。



蔡和  周瑜に利用される


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蔡勲  蔡瑁の(架空の)弟


蔡勲(さいくん)字は不明
出身地不明(??~??)

劉表(りゅうひょう)の配下。「演義」オリジナルキャラ。
実在する蔡瑁(さいぼう)の弟に設定される。
初登場時だけ蔡勲と書かれ、以降は蔡壎(※王偏だが当サイトでは表示されないため土偏で記す)と書かれる。
「吉川三国志」では蔡勲、「横山三国志」では蔡壎(※上同)と書かれた。

蔡瑁が劉備の暗殺を企んだ折に北門を固めた。
その後、赤壁の戦いを前に三江口で孫権軍と対峙した際に甘寧を迎え撃ったが一瞬で射殺された。



蔡中  周瑜に利用される


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史蹟  黄忠に返り討ち


史蹟(しせき)字は不明
出身地不明(??~221)

呉の将。「演義」オリジナルキャラ。

夷陵の戦いで関興(かんこう)や張苞(ちょうほう)の活躍に気を良くした劉備が「老将は役立たなくなったが代わりに若者が出てきた」と口を滑らせたのに憤り、75歳の黄忠は健在を示そうと抜け駆けし、潘璋(はんしょう)の陣に挑み掛かった。
潘璋は史蹟に迎撃させたが、相手が老人と舐めてかかり、あっさり返り討ちにされた。
黄忠はそれに満足せず翌日も出撃したが、衆寡敵せず致命傷を負ってしまう。

「吉川三国志」には登場しないが、劉備の失言は「諸将も年老いて冬の寒さが応えるようになってきた」とマイルドな表現にされた。
また「演義」では黄忠は関羽の仇の一人である馬忠(ばちゅう)に射られて致命傷を負うが、「吉川三国志」では馬忠の突いてきた槍を奪い反撃している。
「横山三国志」には馬忠自体が登場せず、黄忠の戦死は一夜の出来事にアレンジされた。



紫虚上人  チョイ役なんか占わない


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謝雄  王双に返り討ち(※1人目)


謝雄(しゃゆう)字は不明
出身地不明(??~228)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

陳倉の戦いで援軍に現れた曹真(そうしん)軍の先鋒・王双(おうそう)と一騎打ちし、龔起(きょうき)とともに三合もたずに討たれた。

王双のデビュー戦を飾るために作られた噛ませ犬なものの「演義」では彼が自ら出陣を名乗り出たが「吉川三国志」では諸葛亮が指名し、秒殺されたと聞くと驚いており、それなりの実力はあると思われていたようである。



朱芳  王経四天王


花永(かえい)・朱芳(しゅほう)・張明(ちょうめい)・劉達(りゅうたつ)いずれも字は不明
いずれも出身地不明(??~??)

魏の将たち。全員「演義」オリジナルキャラ。

王経(おうけい)の配下たち。255年、四将は背水の陣を敷いた姜維を攻撃し、普通に敗走した。
以降は登場せず、なぜわざわざ4人もオリキャラを作ったのか意味不明である。



周善  孫権の信頼厚いモブ


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周倉  100メートル5秒6


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周平  周泰の(架空の)弟


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祝融  投げナイフ夫人


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荀正  紀霊の身代わり


荀正(じゅんせい)字は不明
出身地不明(??~196)

袁術(えんじゅつ)の将。「演義」オリジナルキャラ。

劉備が袁術を攻めると紀霊(きれい)が十万の兵で迎え撃った。
紀霊は関羽と一騎打ちし30合あまり互角に戦ったが、休憩を申し出た。
関羽は再戦を待ったが、紀霊は恐れをなしたのか代わりに副将の荀正を出撃させた。
荀正は「お前ごときが紀霊将軍と戦いたいとは笑止千万」と雑魚キャラの見本のような台詞を放ち、一刀両断された。

「吉川三国志」では関羽と紀霊はそもそも戦わず初めから荀正が出撃。
関羽は劉備を逃がすために荀正をおびき寄せ手加減して戦ったが、面倒臭くなり一刀両断した。



淳于丹  鮮于丹+淳于式÷2=


淳于丹(じゅんうたん)字は不明
出身地不明(??~??)

呉の将。「演義」オリジナルキャラ。

夷陵の戦いで末将の身分ながら陸遜の命で出撃し、さんざんに打ち破られた。
潔く処罰を求めたが陸遜は「蜀軍の備えを見るための偵察だった」と罪に問わず、それを元に計略を立て大勝利につなげるのだった。

史実には鮮于丹(せんうたん)という人物が夷陵の戦いに登場する。
呉には淳于式(じゅんうしょく)という良く似た名前の人物がおり、彼と鮮于丹が「演義」の著者の中で混ざった結果、淳于丹というオリジナルキャラが誕生したのだろうか。



淳于導  長坂のモブ武将


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徐康  徐庶の(架空の)弟


徐康(じょこう)字は不明
豫州潁川郡長社の人?(??~208?)

実在する徐庶(じょしょ)の弟。「演義」オリジナルキャラ。

徐庶の采配により曹仁が大敗した際、程昱がその素性について語り、近頃、弟の徐康が死んだため老母の世話をする者がいないと、人質に取るよう勧めた。



昌奇  無駄なワンクッション


昌奇(しょうき)字は不明
出身地不明(??~215)

張魯(ちょうろ)の将。「演義」オリジナルキャラ。

陽平関を奪われた楊任(ようじん)は雪辱を期して魏軍に挑んだ。まず昌奇を出撃させたが夏侯淵に瞬殺され、次いで楊任も斬られた。

完全に無駄なワンクッションのため「吉川三国志」等には登場しない。



焦炳  しょうへいくんふっとばされた!


焦炳(しょうへい)字は不明
出身地不明(??~219)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

漢水の戦いで敵中に孤立した黄忠を救うため趙雲が出撃すると、その前に立ちはだかった。
趙雲が味方はどこか尋ねると「一人残らず討ち取った」とせせら笑い、激怒した趙雲に瞬殺された。

「吉川三国志」でも同じように挑発し三尖刀を振りかざしたが、槍で胸を貫かれた挙げ句に大空へ跳ね上げられた。三尖刀使いの雑魚キャラ率は異常。

「横山三国志」にも名前は出ないが登場。しかし大空へ吹っ飛ばされるのは別人にされた。



鍾進  鍾繇の(架空の)弟


鍾進(しょうしん)字は不明
出身地不明(??~211)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。
実在する鍾繇(しょうよう)の弟に設定される。

馬超が父の仇討ちのため長安に攻め寄せると、太守を務める兄とともに防戦した。
龐徳は城の守りは固いが、地形から水と燃料不足に陥りやすいことを指摘し、わざと陣を下げさせると、水汲みや薪採りの群衆に紛れて侵入した。
そして城内に火を掛けさせると、消火に現れた鍾進を斬り捨てた。



鍾紳  長坂のモブ兄弟


鍾縉(しょうしん)・鍾紳(しょうしん)字は不明
出身地不明(??~208)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。
兄弟で鍾縉が兄。

長坂の戦いで兄は大まさかりを、弟は画戟をふるい趙雲を追撃したがあっさり返り討ちにされた。

「吉川三国志」では疲労困憊の趙雲が最後の力を振り絞って倒したと記されるが、ほとんどナレ死している。
「横山三国志」には登場しない。



鍾縉  長坂のモブ兄弟


鍾縉(しょうしん)・鍾紳(しょうしん)字は不明
出身地不明(??~208)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。
兄弟で鍾縉が兄。

長坂の戦いで兄は大まさかりを、弟は画戟をふるい趙雲を追撃したがあっさり返り討ちにされた。

「吉川三国志」では疲労困憊の趙雲が最後の力を振り絞って倒したと記されるが、ほとんどナレ死している。
「横山三国志」には登場しない。



辛明  五万人が行方不明


辛明(しんめい)字は不明
出身地不明(??~??)

袁紹の将。「演義」オリジナルキャラ。

200年、官渡の戦いの際、烏巣の兵糧庫を焼き払い形勢逆転した曹操は、荀攸(じゅんゆう)の策を容れ鄴と黎陽を攻めると喧伝した。
袁紹はあわてて三男の袁尚(えんしょう)に五万の兵を与え鄴に、辛明にも同じく五万の兵で黎陽に向かわせた。
だがこれは兵を分散させる罠で、曹操は袁紹の本隊を急襲し大打撃を与えた。
辛明はそのまま忘れられたらしく以降は登場しない。

「吉川三国志」では「酸棗を通り鄴を攻め、さらに黎陽を攻める」が「酸棗と鄴と黎陽を攻める」になっており、袁紹は酸棗も守るため余計に兵を分散させている。



岑威  魏の輸送隊長


岑威(しんい)字は不明
出身地不明(??~234)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

司馬懿は蜀軍から木牛・流馬(輸送車)を奪うと、それをもとに大量生産させ、岑威に命じ輸送に用いた。
だがこれは諸葛亮の罠で、まず王平(おうへい)を魏軍に変装させ岑威を討ち取り木牛・流馬を奪うと、隠しスイッチを使い、車輪をロックした。
魏軍は木牛・流馬を奪回したが動かせず、驚いているところに神兵に変装した張嶷(ちょうぎょく)が現れ、妖かしの術と思わせる……という計略である。

完コピしたけど隠しスイッチに気付かない魏の技師が無能すぎると思う。



岑璧  呂曠に斬られる え? 呂曠?


岑璧(しんへき)字は不明
出身地不明(??~203)

袁譚(えんたん)の将。「演義」オリジナルキャラ。

袁紹の死後、長男の袁譚と三男の袁尚(えんしょう)は後継者争いを始めた。
戦の才では袁尚が勝り、劣勢の袁譚は岑璧(しんへき)を差し向けたが、呂曠(りょこう)に討ち取られた。

袁尚ならまだしも呂曠に討ち取られる彼にいったいなんの存在意義があると言うのだろうか。



秦琪  夏侯惇の愛弟子(?)


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秦慶童  ゲス不倫カップル


秦慶童(しんけいどう)字は不明
出身地不明(??~??)

「演義」オリジナルキャラ。

董承(とうじょう)の妾である雲英(うんえい)は、下僕の秦慶童と密通したため董承に棒打ちされた。
それを逆恨みし、秦慶童は董承の曹操暗殺計画を密告し、一族郎党もろとも処刑させた。



秦明  秦朗の(架空の)弟(?)


秦明(しんめい)字は不明
出身地不明(??~234)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

魏の鄭文(ていぶん)は蜀に偽装投降し、それを追ってきた前将軍の秦朗(しんろう)を一合で斬り捨て信用させようとした。
だが諸葛亮は持ち帰った首を見るや別人だと指摘した。鄭文は驚き、実は弟の秦明だと白状した。

信用させるためにわざわざ実弟を殺させたとも考えづらく、その正体は本当は誰なのか不明である。

「吉川三国志」では鄭文は偽りを認めるだけで弟だとごまかさないが「横山三国志」では弟だと弁解している。



秦良  ギャンブルは身を滅ぼす


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薛則  首だけコンビ


薛則(せつそく)字は不明
出身地不明(??~228)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

蜀の北伐軍の先鋒を務めた趙雲が韓徳(かんとく)ら父子を瞬殺すると、魏軍を率いる夏侯楙(かこうぼう)は恐れをなした。
だが程武(ていぶ)は「趙雲は武勇だけで謀略を知らない」と言い、わざと撤退しておびき寄せ、伏兵で叩く超単純な策を立てた。
冷静沈着なはずの趙雲は柄にもなく敵を侮っていたため、この策に簡単に引っ掛かり、薛則&董禧(とうき)の伏兵に襲われて大敗した。
趙雲は包囲されたがそこに諸葛亮の密命を帯びた張苞(ちょうほう)と関興(かんこう)が駆けつけ、窮地を救った。
その際に張苞は薛則の、関興は董禧の首を行きがけの駄賃に奪っていた。

「吉川三国志」では薛則は征西将軍にされている。魏では夏侯淵や張郃、蜀では黄忠と同等で大出世にも程があるし、それどころか夏侯楙は安西鎮東将軍に設定されており、薛則の方が地位が高くなってしまっている。
一方の董禧は神威将軍なる雑号将軍で、吉川英治の官位の扱いは適当すぎる。

「横山三国志」では初登場時にはすでに二人とも張苞・関興に首を獲られて馬からぶら下げられているという有様である。



祖弼  死んでも玉璽は渡さない


祖弼(そひつ)字は不明
出身地不明(??~220)

後漢の臣。「演義」オリジナルキャラ。

曹丕が献帝に帝位の禅譲を迫った際、玉璽を管理する祖弼に、曹洪(そうこう)は玉璽を引き渡すよう脅したが、祖弼はそれに屈せず無礼を咎め、首を斬られるその時まで罵り続けた。

架空の人物だが「演義」には彼の忠節を讃える詩が紹介されている。(ただし名前は出てこない)

「吉川三国志」では人品の良い老臣と記されるがあっさり首を斬られてしまい罵り続けてはいない。
「横山三国志」でも同じ啖呵を切り、曹休(そうきゅう)に斬られた。



蘇顒  趙雲に返り討ち


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宋白  毌丘倹の首を獲る


宋白(そうはく)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の臣。「演義」オリジナルキャラ。

255年、反乱した毌丘倹(かんきゅうけん)は敗走し、慎県までたどり着くと、県令の宋白は彼を歓迎し酒宴でもてなした。
そして油断させると、泥酔したところを斬首してしまった。

史実では毌丘倹を殺したのは安風津の民兵の張属(ちょうぞく)であり、なぜわざわざオリキャラを作ったのかよくわからない。

演義1  演義2