三国志 演義


宗宝  管亥に斬られる


宗宝(そうほう)字は不明
出身地不明(??~193)

孔融(こうゆう)の配下。「演義」オリジナルキャラ。

曹操に父の仇として大軍で攻め寄せられた徐州刺史の陶謙(とうけん)は、近隣の太守に救援を求めた。
北海太守の孔融もその一人で要請に応じようとしたが、そこへ黄巾賊の管亥(かんがい)が現れ、兵糧を譲れと迫った。
孔融は拒絶し、配下の宗宝を出撃させたが、管亥に数合で斬って落とされた。

ちなみに管亥はその後、劉備の援軍とも戦い、関羽と数十合に渡り一騎打ちしており相当強い。

「吉川三国志」には宗宝も管亥も登場しない。



曹永  龐徳に馬を奪われる


曹永(そうえい)字は不明
出身地不明(??~211)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

曹仁の配下。渭水の戦いで韓遂(かんすい)と龐徳は魏軍へ夜襲を仕掛けたが、見抜かれており落とし穴に嵌まった。
自力で脱出した龐徳に曹永は襲いかかったが、返り討ちにされ馬を奪われた。

「吉川三国志」にも登場し「横山三国志」にも名前は出てこないがそれらしき人物が龐徳に斬られ馬を奪われている。



曾宣  諸葛誕を見限る


曾宣(そうせん)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の将?「演義」オリジナルキャラ。

258年、反乱した諸葛誕は籠城が長く続き疑心暗鬼に駆られ、呉から援軍として派遣された文欽(ぶんきん)の内応を疑い殺してしまう。
それをきっかけに離反者が相次ぎ、最後には北門を守っていた曾宣も、門を開き魏軍を招き入れ、諸葛誕は討ち取られた。

なお曾宣の素性について特に記されていないため、文欽と同じく呉から派遣された将の可能性もある。



孫冀  陸抗の(架空の)後任


孫冀(そんき)字は不明
出身地不明(??~??)

呉の将。「演義」オリジナルキャラ。

269年頃、孫皓(そんこう)は陸抗(りくこう)が晋に内通していると疑い、兵権を奪うと左将軍の孫冀を後任にした。だけ。

名前のよく似た同じく左将軍の孫異(そんい)という人物が実在し、その誤記の可能性がある。
なお史実では陸抗は兵権を奪われておらず「演義」オリジナル展開である。



孫仲  劉備に射殺される


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朶思大王  南蛮一の知恵者?


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帯来洞主  謎の交渉能力


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譚雄  謎のオリジナル呉将


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張球  張穎の唯一の出番を奪う


張球(ちょうきゅう)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

234年、呉が三方から魏を攻めると、曹叡(そうえい)は自ら合肥へ向かい迎撃の指揮を執った。
呉軍を率いる諸葛瑾(しょかつきん)の油断を見抜いた満寵(まんちょう)は夜襲を進言し、曹叡は満寵と張球に5千ずつの兵を与え、火攻めで大戦果を挙げた。

なお史実では張穎(ちょうえい)がこの戦で活躍している。なぜ張穎ではなくオリキャラを起用したのかはよくわからないし、ここにしか出てこない張穎の出番が奪われたのは気の毒でならない。



張尚  陸景を斬る


張尚(ちょうしょう)字は不明
出身地不明(??~??)

晋の将。「演義」オリジナルキャラ。

同姓同名の人物が同時代の呉にもおり、後に晋に反乱する張昌(ちょうしょう)も張尚と書かれることがあり、wikiでは実在の人物のように書かれているがオリキャラと思われる。

280年、呉の滅亡に際して陸遜の孫の陸景(りくけい)を討ち取った。



張節  死んでも禅譲は許さない


張節(ちょうせつ)字は不明
出身地不明(??~265)

魏の臣。「演義」オリジナルキャラ。

265年、司馬炎(しばえん)が魏の皇帝・曹奐(そうかん)へ居丈高に帝位の禅譲を迫ると、張節は激怒し、魏は曹操が苦労の末に建国したものだと反論した。
すると司馬炎は、魏は漢から簒奪したに過ぎず、それも司馬一族の尽力があってこそで、漢の仇を取り魏を滅ぼすのだから問題ないと屁理屈をこね、張節を殴り殺させると、泣き叫ぶ曹奐から帝位を奪った。

史実では記録上は穏便に帝位は譲られてるし、たぶん実際にも穏便に事は進んだと思う。



張先  張繡軍の先鋒


張先(ちょうせん)字は不明
出身地不明(??~??)

張繡(ちょうしゅう)の配下。「演義」オリジナルキャラ。

宛城の戦いで典韋、曹昂(そうこう)らを討たれた曹操は報復に乗り出した。
曹操が許褚を出撃させると張繡は張先に迎撃させたが、たった三合で討ち取られた。



張韜  甄姫を殺させる


張韜(ちょうとう)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の臣。「演義」オリジナルキャラ。

曹丕の側室の郭(かく)貴妃は、皇后の座を得るため甄姫を亡き者にしようと企んだ。
郭貴妃の寵臣の張韜は、曹丕が病気にかかった時に、曹丕の生年月日を記した人形を庭に埋めさせ、甄姫による呪いだと見せかける策を立てた。
これが当たり、激怒した曹丕は甄姫を殺してしまった。

「正史」には郭貴妃が甄姫と争ったことは記されていない。「魏略」や「漢晋春秋」といった誇張や俗説も多々ある史書には記されているが信用は置けない。

「吉川三国志」には登場するが「横山三国志」には登場しない。



張普  曹休の先鋒


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張武  死亡確認


張武(ちょうぶ)字は不明
出身地不明(??~208)

劉表(りゅうひょう)の将。「演義」オリジナルキャラ。

陳孫(ちんそん)とともにいったん劉表に降伏したがすぐに江夏で反乱した。
劉表の客将の劉備が自ら討伐を申し出て3万の兵を借り受けた。
劉備は張武の乗騎に目をとめ「あれは千里を走る名馬だ」と言うと、気を利かせた趙雲が張武を瞬殺し馬を奪ってきた。これが劉備の愛馬となる的盧(てきろ)である。
陳孫が馬を奪い返そうと追ってきたがやはり張飛に瞬殺された。

「吉川三国志」や「演義」の別版では二人は先に劉表配下として戦い、孫策に討ち取られた張虎(ちょうこ)・陳生(ちんせい)と同姓同名に誤記されている。
「横山三国志」でも誤記は踏襲され、しかもそちらには元祖の張虎&陳生が登場しないため各方面で混乱を招き、wikiでは2018年6月現在、張虎の項目に張武の、陳生の項目に陳孫の事績がそれぞれ混在している。



張明  王経四天王


花永(かえい)・朱芳(しゅほう)・張明(ちょうめい)・劉達(りゅうたつ)いずれも字は不明
いずれも出身地不明(??~??)

魏の将たち。全員「演義」オリジナルキャラ。

王経(おうけい)の配下たち。255年、四将は背水の陣を敷いた姜維を攻撃し、普通に敗走した。
以降は登場せず、なぜわざわざ4人もオリキャラを作ったのか意味不明である。



貂蝉  三国志一の美女


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趙儼  同姓同名のチョイ役


趙儼(ちょうげん)字は不明
出身地不明(??~214)

後漢の臣。「演義」オリジナルキャラ。

曹操が魏王の座だけではなく帝位も狙っているらしい、と献帝に注進したため腰斬の刑に処された。

なお「腰斬の刑」とは腰の部分で切断する処刑法。即死しないので非常に苦痛を伴い、重罪人に用いられる。史実では謀叛を企んだ夏侯玄(かこうげん)が処された。

魏の重臣と無駄に同姓同名の彼は「演義」の一部の版にしか登場しない。
ちなみに「演義」には本物の趙儼は一切登場しない。



趙岑  地味で架空の董卓配下


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趙萌  さらわれた少帝を出迎える


趙萌(ちょうぼう)字は不明
出身地不明(??~??)

後漢の臣。「演義」オリジナルキャラ。

189年、大将軍の何進(かしん)の暗殺を機に十常侍ら宦官が一掃された。
一部の宦官は少帝をさらい逃亡したがすぐに奪回された。
都に戻った少帝を王允(おういん)や右軍校尉の趙萌らが出迎えた。

出迎えたメンバーの中で趙萌だけが実在せず、誰か別人の誤記の可能性がある。



陳応  真の勇者(笑)たち


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陳横  劉繇の地味な配下


陳横(ちんおう)字は不明
出身地不明(??~194)

劉繇(りゅうよう)の将。「演義」オリジナルキャラ。

孫策に大敗した揚州刺史の劉繇は落ち延びていき、陳横、張英(ちょうえい)、薛礼(せつれい)らは秣陵の城に取り残されたが、攻め寄せた孫策に矢を浴びせることに成功した。
救助された孫策は戦死したという偽報を流して軍を下げると、それを信じた陳横らは追撃に掛かった。
まんまと罠にはまった彼らは次々と討ち取られ、陳横は蔣欽(しょうきん)に射殺された。

「吉川三国志」では張英の最期が細かく描かれる一方で「陳横も、討たれた」と一言で片付けられる。
だが「薛礼城」という城名にされている薛礼よりはマシであろう。



陳元  羊陸の交のチョイ役


陳元(ちんげん)字は不明
出身地不明(??~??)

晋の将。「演義」オリジナルキャラ。

晋の羊祜(ようこ)と呉の陸抗(りくこう)は互いに不可侵条約を結び、敵ながら親しく付き合っていた。
ある日、国境沿いで羊祜が狩りをしていると、同じく陸抗も狩りに出てきた。
陸抗側が先に射たが、国境を超えて晋に逃げた獲物がいると、羊祜はそれを後から陸抗のもとへ届けてやった。
陸抗が返礼として秘蔵の酒を贈ると、羊祜はそれを喜んで飲もうとした。陳元は毒酒かも知れないと危ぶんだが、羊祜は「陸抗はそんな男ではない」と笑って飲み干した。
その後、羊祜は陸抗が病に伏せっていると聞くと、自ら調合した薬を贈った。
やはり呉の諸将も毒薬だと危ぶんだが、陸抗もそれを喜んで飲んだ。二人の親交ぶりは「羊陸の交」と呼ばれたという。

いずれも「正史」や「晋書」に記されている逸話で、陳元は無名の人物に命名されたものである。



陳俊  撒き餌部隊


陳俊(ちんしゅん)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

257年、魏に反乱した諸葛誕に孫綝(そんちん)は援軍を送った。
鍾会は呉軍が協力しているのは利益を求めているからだと読み、陳俊に兵への慰問の品を輸送させ、わざと敵中に置き去りにするよう命じた。
はたして呉軍は戦利品を目にすると足並みを乱し、そこを魏軍に襲われ大敗を喫した。



陳造  馬岱に返り討ち


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陳孫  死亡確認


陳孫(ちんそん)字は不明
出身地不明(??~208)

劉表(りゅうひょう)の将。「演義」オリジナルキャラ。

張武(ちょうぶ)とともにいったん劉表に降伏したがすぐに江夏で反乱した。
劉表の客将の劉備が自ら討伐を申し出て3万の兵を借り受けた。
劉備は張武の乗騎に目をとめ「あれは千里を走る名馬だ」と言うと、気を利かせた趙雲が張武を瞬殺し馬を奪ってきた。これが劉備の愛馬となる的盧(てきろ)である。
陳孫が馬を奪い返そうと追ってきたがやはり張飛に瞬殺された。

「吉川三国志」や「演義」の別版では二人は先に劉表配下として戦い、孫策に討ち取られた張虎(ちょうこ)・陳生(ちんせい)と同姓同名に誤記されている。
「横山三国志」でも誤記は踏襲され、しかもそちらには元祖の張虎&陳生が登場しないため各方面で混乱を招き、wikiでは2018年6月現在、張虎の項目に張武の、陳生の項目に陳孫の事績がそれぞれ混在している。



丁管  董卓に殴りかかる


丁管(ていかん)字は不明
出身地不明(??~189)

後漢の臣。「演義」オリジナルキャラ。

189年、洛陽の都を牛耳る董卓は少帝の廃立を強行した。
丁管はそれを阻止しようと董卓に象簡(象牙の笏)で殴りかかったが捕らえられ、首を打たれた。
斬られるその時まで董卓を罵り続け、後世には詩にもうたわれたが実在しない。
また董卓に殴りかかる際には「我が首の血でも喰え」と独特の表現をしている。

「吉川三国志」では若い純真な義人と描写され、短剣で董卓を突いたがかわされ、李儒(りじゅ)に首を斬られた。

「横山三国志」では長剣で斬りかかろうとして周囲の兵に刺殺されたがなぜ宮中で佩剣していたのだろう。



程遠志  志は程遠く


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程曠  十常侍唯一の架空メンバー


程曠(ていこう)字は不明
出身地不明(??~189)

後漢の宦官。「演義」オリジナルキャラ。

十常侍の一人。専権をふるったが大将軍の何進の暗殺を機に袁紹らによって宦官が一掃されると、他のメンバーとともに程曠も斬られた。

「正史」・「演義」合わせて総勢17人いる十常侍のメンバーの中で彼だけが実在しない。

※実在する程璜の名前を変えたものと思われるので程璜の記事作成後に削除予定



鄭文  偽装投降を見破られる


鄭文(ていぶん)字は不明
出身地不明(??~234)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

234年、北伐の兵を挙げた蜀軍に偽装投降した。
司馬懿が秦朗(しんろう)を重用するのに反発したためと語り、その秦朗が追撃してくると、出撃して一刀のもとに斬り伏せた。
だが諸葛亮は首級を見るやこれは秦朗ではないと怒り、鄭文は「実は弟の秦明(しんめい)でした」と苦しい釈明をしたものの捕らえられた。
周囲の者がなぜ見破れたのかと驚くと、諸葛亮は司馬懿はみだりに人をえこひいきせず、秦朗を重用するからには武芸に優れているはずなのに、一刀両断されるわけがないと説明。
鄭文を信用したという偽報を流して魏軍をおびき寄せ、本物の秦朗を討ち取らせると、用済みになった鄭文も処刑させた。

「吉川三国志」では諸葛亮は推理を披露せず、本当に秦朗を見知っていた様子で、鄭文は釈明せず、その後の処刑も描かれない。
「横山三国志」では諸葛亮は推理を披露し、鄭文も釈明するなど「演義」に即した展開が描かれる。



鄭倫  工兵を率いる


鄭倫(ていりん)字は不明
出身地不明(??~260)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

鄧艾の副将。工兵を率い坑道を掘り進んで蜀軍の背後に回り、王含(おうがん)・蔣斌(しょうひん)を撃破した。
その後、姜維の本隊が出てくると鄧艾とともにその背後をうかがうが見破られており、伏兵の廖化(りょうか)に斬られた。



翟元  関平か廖化に斬られる


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徹里吉  西羌の鬼軍曹


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土安  焼き魚


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杜叡  木牛・流馬を大量生産


杜叡(とえい)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

北伐に赴いた諸葛亮は、杜叡・胡忠(こちゅう)に大工を監督させ木牛・流馬を大量生産させた。だけ。



杜遠  廖化に成敗される


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党均  黄皓に賄賂を渡す


党均(とうきん)字は不明
荊州襄陽の人(??~??)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

260年、姜維の率いる蜀軍は北伐の兵を挙げ、魏軍は敗北し劣勢に追い込まれた。
司馬望(しばぼう)は蜀の皇帝・劉禅の寵愛する宦官の黄皓(こうこう)に賄賂を渡し、姜維が謀叛を企んでいるという流言をさせる計略を立てた。
党均が名乗り出て黄皓と交渉し、首尾よく成功して姜維は都に召還され、魏軍は難を逃れた。

wiki等ではこの策略自体を党均が立てたことにされており、司馬望の名誉(この逸話自体が創作ではあるが)のためにも修正が望まれる。



董紀  蔡文姫の夫(の誤記)


董紀(とうき)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の臣。「演義」オリジナルキャラ。

蔡文姫の夫。厳密に言うとオリキャラではなく、実在する董祀(とうき)の誤記と思われる。

董祀には罪に問われ、蔡文姫が曹操に助命嘆願する面白い逸話があるが、董紀は近くを通った曹操が家を訪ねたが留守だったと語られるだけである。



董禧  首だけコンビ


董禧(とうき)字は不明
出身地不明(??~228)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

蜀の北伐軍の先鋒を務めた趙雲が韓徳(かんとく)ら父子を瞬殺すると、魏軍を率いる夏侯楙(かこうぼう)は恐れをなした。
だが程武(ていぶ)は「趙雲は武勇だけで謀略を知らない」と言い、わざと撤退しておびき寄せ、伏兵で叩く超単純な策を立てた。
冷静沈着なはずの趙雲は柄にもなく敵を侮っていたため、この策に簡単に引っ掛かり、薛則(せつそく)&董禧の伏兵に襲われて大敗した。
趙雲は包囲されたがそこに諸葛亮の密命を帯びた張苞(ちょうほう)と関興(かんこう)が駆けつけ、窮地を救った。
その際に張苞は薛則の、関興は董禧の首を行きがけの駄賃に奪っていた。

「吉川三国志」では薛則は征西将軍にされている。魏では夏侯淵や張郃、蜀では黄忠と同等で大出世にも程があるし、それどころか夏侯楙は安西鎮東将軍に設定されており、薛則の方が地位が高くなってしまっている。
一方の董禧は神威将軍なる雑号将軍で、吉川英治の官位の扱いは適当すぎる。

「横山三国志」では初登場時にはすでに二人とも張苞・関興に首を獲られて馬からぶら下げられているという有様である。



董荼那  友情パワーに目覚めるも


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鄧程  玉璽をしまう


鄧程(とうてい)字は不明
出身地不明(??~??)

呉の臣。「演義」オリジナルキャラ。

258年、孫亮(そんりょう)は専横をきわめる孫綝(そんちん)の暗殺を企てたが、計画は露見し逆に帝位を逐われた。その際に孫綝は李崇(りすう)に皇帝の印綬を奪わせ、それを鄧程に保管させた。

李崇は実在し、史実でも同じ役割を果たすが、わざわざ鄧程を加える意味がわからない。
また鄧程は人名ではなく地名ではないかと解釈する向きも多い。



鄧敦  蜀征伐に反対し処刑される


鄧敦(とうとん)字は不明
出身地不明(??~263)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

263年、司馬昭が蜀征伐を宣言すると、それに反対したため処刑された。
前将軍に設定されており相当偉い。

なお史実ではむしろ反対派の方が多い様子



鄧茂  [演 義]――Mr.かませ犬


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甯随  剣閣に籠もるべし


甯随(ねいずい)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

263年、鄧艾・鍾会らの蜀征伐軍は漢中を落とし、さらに諸葛緒(しょかつしょ)に背後に回られ姜維は進退窮まった。
すると副将を務める甯随は、手薄になった雍州に兵を向ければ、雍州刺史の諸葛緒は撤退し、その間に剣閣に籠城すればよいと進言した。
この策が当たり、姜維は剣閣で抵抗を続けることになる。

「横山三国志」では姜維が自ら剣閣での籠城策を立てるため登場しない。



馬漢  座興代わりに殺される


馬漢(ばかん)字は不明
出身地不明(??~214)

劉璋(りゅうしょう)の将。「演義」オリジナルキャラ。

214年、益州を攻める劉備は馬超を降伏させ、ともに綿竹関へ入城した。
そこへ馬漢と劉晙(りゅうしゅん)が攻め寄せたが、趙雲が「手捕りにして参ります」と出て行き、二人の首を持ち帰った。
まだ劉備と馬超を迎え入れる宴席が始まったばかりで、あまりの早業に馬超も劉備軍の精強さに感嘆した。

手捕りにして参ると言っていたのに殺してくる趙雲が脳筋に見えてしかたない。

「吉川三国志」では馬漢と劉晙が攻めているのに趙雲・黄忠らは平然と劉備を迎え入れ、宴席のさなかに趙雲が「ちょっと中座します」と出て行き二人の首を持ってくる、とアレンジされた。



裴景  司馬懿に怒られる


裴景(はいけい)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

238年、司馬懿は反乱した公孫淵(こうそんえん)の討伐に向かったが、長雨に足止めされた。1月あまりも降り続いたため左都督の裴景はいったん陣を高所へ移すよう進言したが、司馬懿は優勢なのに動くことはないと却下し、また同じことを言ったら処刑すると厳命した。
そこへ右都督の仇連(きゅうれん)がすぐさま考え直していただきたいと言ったところ、ただちに処刑された。
当たり前である。



裴元紹  馬泥棒


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裴緒  夏侯楙の偽りの配下


裴緒(はいしょ)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

北伐の兵を挙げた諸葛亮は、魏軍を率いる夏侯楙(かこうぼう)の配下と偽り、裴緒を各地の太守のもとに派遣した。
安定太守の崔諒(さいりょう)はまんまと騙され城を奪われたが、天水太守の馬遵(ばじゅん)は姜維の助言によって騙されず、逆に蜀軍に痛手を与えた。



万政  第二回選択希望武将


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范成  謎の洛陽県令


范成(はんせい)字は不明
出身地不明(??~??)

曹操の配下。「演義」オリジナルキャラ。

196年、洛陽を制圧した曹操は、董昭(とうしょう)とともに范成を洛陽県令に任命した。
以降は全く登場しない謎の人物である。

「吉川三国志」には登場しないが全く同じタイミングで催督(さいとく)という謎のオリキャラが現れるという共通点がある。



潘挙  問答無用の威嚇射撃


潘挙(はんきょ)字は不明
出身地不明(??~??)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

249年、専横をきわめる曹爽(そうそう)が都を離れた隙に司馬懿は反乱を起こした。
軍が曹爽の屋敷に差し掛かると、曹爽の妻の劉氏(りゅうし)は司馬懿の真意を測りかねておびえた。すると潘挙が「私が尋ねて参る」と言い、司馬懿の兵に矢を浴びせて足止めした。
だが孫謙(そんけん)が「太傅(司馬懿)は国家の大事をなされている」と三度にわたり諫言したため、潘挙は攻撃をやめた。
尋ねてくると言ったのに問答無用で射撃するのは意味不明だし、その後潘挙がどうなったのかは一切描かれない。

「世語」でも同じ経緯が描かれるが、潘挙は守将とだけ記され名前は出てこない。一方で孫謙の名は記されている。
またその守将は矢を構えて威嚇するだけで「演義」のように問答無用で乱射はしていない。



潘遂  趙雲から生き延びる


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潘鳳  華雄に秒殺


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苗沢  間抜けな間男


苗沢(びょうたく)字は不明
出身地不明(??~212)

後漢の臣?。「演義」オリジナルキャラ。

黄奎(こうけい)の妻の弟。
黄奎の側室の李春香(りしゅんこう)と浮気しており、黄奎が馬騰(ばとう)とともに曹操の暗殺を企んでいると聞かされ、黄奎を除けば李春香が手に入ると考え、それを曹操に密告した。
首尾よく黄奎・馬騰は処刑されたが、苗沢も不忠者として李春香とともに首を斬られた。

「吉川三国志」では李春香は黄奎の姪に設定される。苗沢は李春香との結婚を反対されていることを恨み、李春香に暗殺計画を聞き出させて、曹操に密告する流れである。

「横山三国志」では「演義」と同じ設定に戻された。



武安国  おおかなづち


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普浄  関羽を二度助ける


普浄(ふじょう)本名は不明
司隷河東郡解県の人(??~??)

僧侶。「演義」オリジナルキャラ。

関羽千里行に登場。
関羽の暗殺を企む卞喜(べんき)は、普浄の鎮国寺に伏兵を潜ませ、関羽を招き入れた。
だが関羽と同郷の普浄は目配せでそれを教え、危機を悟った関羽は卞喜を斬り捨て窮地を脱した。
普浄は寺を捨てて落ち延びて行き、関羽は深く感謝した。

全くの余談だがこの逸話は日本語読みすると不浄、チンコク寺、便器と下ネタのオンパレードである。

219年、戦死した関羽の霊魂は普浄(※ここでは普静と誤記されている)が草庵を構える玉泉山に迷い込んだ。
関羽の霊が首を返せと大喝すると、普浄は関羽に「将軍に首を斬られた顔良(がんりょう)、文醜(ぶんしゅう)、卞喜らは誰に首を返せと言えばよいのか」とさとした。
我に返った関羽は成仏し、その後も玉泉山に霊験を現して人々を助けたという。

「吉川三国志」、「横山三国志」でも同様の逸話が描かれるが、やはり普静と誤記されている。



卞喜  いつもあなたのそばに


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慕容烈  趙雲に瞬殺されたモブ


慕容烈(ぼようれつ)字は不明
出身地不明(??~219)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

文聘(ぶんぺい)の配下。漢水の戦いで敵中に孤立した黄忠を救うため趙雲が出撃すると、その前に立ちはだかり瞬殺された。

「吉川三国志」でも同様に瞬殺されるが「横山三国志」には登場すらしない。



方悦  呂布に秒殺された男AかB


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忙牙長  水牛+斧=忙牙長


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彭安  徐晃に秒殺される


彭安(ほうあん)字は不明
出身地不明(??~205)

袁譚(えんたん)の配下。「演義」オリジナルキャラ。

南皮に籠城した袁譚は、出撃してきた徐晃を彭安に迎え撃たせたが数合で斬って落とされた。



彭和  韋駄天が台無しに


彭和(ほうか)字は不明
出身地不明(??~??)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

263年、魏軍に綿竹関を包囲された諸葛瞻(しょかつせん)は、彭和に囲みを破らせ、呉に援軍を求めさせた。
彭和は呉の皇帝・孫休(そんきゅう)に謁見し、丁奉率いる5万の援軍を出させたが、諸葛瞻はそれを待ち切れずしびれを切らして出撃してしまい戦死するのだった。

彭和の足の速さと諸葛瞻の忍耐力の無さが尋常ではないと思う。



鮑素  無能な陽動


鮑素(ほうそ)字は不明
出身地不明(??~256)

蜀の将。「演義」オリジナルキャラ。

256年、蜀の姜維は北伐の兵を挙げると鮑素を祁山の前の谷に潜ませ、偵察の兵を出すたびに鎧や旗指し物を変え、大軍がいると見せかけるよう命じた。
だが魏の鄧艾はそれを観察すると、敵将(鮑素)は無能で衣装を変えているだけで偵察の兵は毎回同じで、馬も交換していないから疲れ切っていると見抜き、これは陽動で姜維は密かに兵を進めていると看破した。

かくして鮑素は陳泰(ちんたい)軍に斬られ、本隊も包囲されて敗走し、姜維を逃がすため張嶷(ちょうぎょく)は討ち死にするのだった。



鮑忠  鮑信の(架空の)弟


鮑忠(ほうちゅう)字は不明
出身地不明(??~190)

実在する鮑信(ほうしん)の弟に設定される。「演義」オリジナルキャラ。

董卓追討軍の先鋒に孫堅が名乗り出ると、鮑信は一番手柄を譲らせまいと、弟の鮑忠に先回りをさせた。
だがそれを見た華雄(かゆう)は汜水関から打って出て、あわてて逃げ出した鮑忠の首を挙げた。



鮑隆  真の勇者(笑)たち


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木鹿大王  愉怪な仲間たち


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穆順  タマ有りの方の穆順


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穆順  タマ無しの方の穆順


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孟節  お兄ちゃんは人格者


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孟坦  赤兎馬は計算外


孟坦(もうたん)字は不明
出身地不明(??~200)

曹操の将。「演義」オリジナルキャラ。

関羽千里行に登場。関羽が関所に迫り、韓福(かんふく)が対策を募ると、配下の孟坦は自分が囮となっておびき寄せ、弓を浴びせる計略を立てた。
孟坦は二刀流で関羽に襲いかかりすぐさま逃げ出したが、あいにく関羽の乗騎は赤兎馬に変わっていたためたちまち追いつかれ一刀両断された。
韓福は矢を射かけて関羽の左肘に命中させたが全くのノーダメージで、やはり一刀両断された。

「吉川三国志」では計略を立てずに普通に関羽に挑み普通に死んだ。
「横山三国志」でもそれらしい無名の将(ただし一刀流である)が挑み普通に死んでいる。



孟優  弟は役立たず


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兪渉  華雄に歯が立たず


兪渉(ゆしょう)字は不明
出身地不明(??~190)

袁術(えんじゅつ)の将。「演義」オリジナルキャラ。

汜水関の戦いで仲間割れに乗じて孫堅を破り、勢いに乗る華雄(かゆう)の相手に名乗り出るも、三合もたずに討ち取られた。
孫堅に兵糧を送らず敗走させたのが袁術であり、兪渉にとってはいい迷惑である。

「吉川三国志」ではなぜか袁紹の配下に変更。6~7合と倍も粘ったがやはり華雄に斬られた。
「横山三国志」では袁紹の副将を名乗るも見開き1ページで首をはねられた。



楊松  お金 大好き


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楊鋒  パンク侍裏切って候


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楊陵  崔諒に巻き込まれる


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楊齢  ロックイズデッド


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雷叙  謎の張繡配下


雷叙(らいじょ)字は不明
出身地不明(??~??)

張繡(ちょうしゅう)の将。「演義」オリジナルキャラ。

曹操が宛城の戦いの報復に乗り出すと、張先(ちょうせん)とともに迎撃に出た。
張先は一騎打ちで許褚に討ち取られ、雷叙はその後一切出番が無かった。

「吉川三国志」には登場すらしない。



李珪  蔡瑁に殺される


李珪(りけい)字は不明
出身地不明(??~208)

劉表(りゅうひょう)の臣。「演義」オリジナルキャラ。

208年、劉表が没すると蔡瑁(さいぼう)らは遺言状を偽造し、甥の劉琮(りゅうそう)に後を継がせた。
だが聡明な劉琮は兄の劉琦(りゅうき)を差し置いての相続に疑問を呈し、李珪もそれに同意した。
李珪は続けて蔡瑁らの陰謀を非難したため、激怒した蔡瑁によって処刑された。

「吉川三国志」にも同様の事績で登場。
「横山三国志」でも無名のそれらしき人物が登場するが、劉琮の発言を受けてではなく、率先して異を唱え殺されている。



李氏  龐徳の妻


李氏(りし)名は不明
出身地不明(??~??)

龐徳の妻。「演義」オリジナルキャラ。

219年、樊城を包囲した関羽の討伐を命じられた夫を、息子の龐会(ほうかい)とともに見送った。
その際に龐徳は息子は大成し、もし自分が死んでも必ず仇を討つだろうと言い残した。
「演義」では描かれなかったが、龐会は蜀の滅亡に際し、関羽の一族を滅ぼしたとする説がある。

「吉川三国志」でも息子を託され、一同が涙にくれる中、李氏だけは気丈にも涙を流さなかったと描かれる。
「横山三国志」には登場しない。



李氏  馬邈の妻


李氏(りし)名は不明
出身地不明(??~263)

馬邈(ばばく)の妻。「演義」オリジナルキャラ。

263年、後方の城を守っていた馬邈は、蜀の桟道を越えて現れた鄧艾軍に降伏した。
「正史」の記述はそれだけである。

「演義」では、防備を固めずに油断していたのを妻の李氏に叱責されると「宦官が実権を握り皇帝が酒色に溺れる蜀に未来はない。魏軍が来たら降伏するだけだ」と答え、激怒した妻につばを吐きかけられた。
やがて鄧艾軍が現れると馬邈はすぐさま降伏したが、妻は夫を恥じて自害し、鄧艾はその死を惜しんだ、と脚色されている。

またKOEIのSLG「三国志11」では馬邈のパラメーターは作中で一、二を争う低能力を誇り、ただの一般女性のはずの妻にも劣っている。



李春香  黄奎を陥れる


李春香(りしゅんこう)字が春香か
出身地不明(??~212?)

黄奎(こうけい)の側室。「演義」オリジナルキャラ。

212年、黄奎は馬騰(ばとう)とともに曹操の暗殺を企んだ。だが側室の李春香とピロートーク中にそれを教えてしまい、李春香と密通する苗沢(びょうたく)に伝わった。
黄奎の義弟である苗沢は、黄奎を除けば李春香が手に入ると考え、暗殺計画を曹操に密告した。
だが、黄奎・馬騰はもちろん不忠者として苗沢も処刑された。
言及されないが黄奎は一族皆殺しになっており、李春香も無事ではあるまい。

「吉川三国志」では李春香は黄奎の姪に設定され肉体関係も無い。黄奎を馬騰とともに決起する義士として描くため、身内に油断しつい計画を洩らしてしまう顛末にアレンジしたと思われる。

「横山三国志」では「演義」の設定に戻され、作中では珍しい李春香のヌードが描かれた。



李別  李利の書き間違い?


李別(りべつ)字は不明
涼州北地郡の人(??~197)

李傕(りかく)の甥。「演義」オリジナルキャラ。

樊稠(はんちゅう)が韓遂(かんすい)を同郷のよしみで見逃したことを叔父の李傕に密告し、処刑させた。
その後、許褚に討ち取られた。

「正史」に同じく密告する李利(りり)という字面がよく似た甥がおり、その誤記かアレンジだろう。

「吉川三国志」では許褚に首をねじ切られる。すごい。



李鵬  顔面粉砕


李鵬(りほう)字は不明
出身地不明(??~258)

魏の将。「演義」オリジナルキャラ。

司馬望(しばぼう)の配下。同じくオリキャラの王真(おうしん)とともに蜀軍を攻めたが、王真は傅僉(ふせん)に小脇に抱えられ生け捕りにされた。
李鵬が救出しようとすると、傅僉は王真を地面に投げ落とし、鉄扇で李鵬の顔面を叩き割った。その間に王真は周囲の兵によって滅多刺しにされた。



劉安  真心のおもてなし


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劉恢  劉備を匿う


劉恢(りゅうかい)字は不明
出身地不明(??~??)

後漢の臣?「演義」オリジナルキャラ。

劉備は黄巾の乱の戦功により県尉の座を得たが、横暴な督郵に張飛が激怒し鞭打ちしたため出奔した。
一行は代州の劉恢を頼り、彼は劉備が皇族の末裔と聞くと歓迎し、幽州刺史の劉虞(りゅうぐ)への紹介状を書いてやった。

同時代にも同姓同名の人物がいるが、劉備が12歳の時に没しており、名前だけ借りたのかもしれない。

「吉川三国志」では劉大人の通称で知られる、度量の広い人物として登場。
かつて張飛が仕えていた鴻(こう)家の親族でもあり、鴻家の息女の芙蓉(ふよう)も世話していた。
劉備は黄巾の乱の際に芙蓉を助けたことがあり、二人は再会を果たしたが、間もなく追手が現れまたも別れるのであった。



劉賢  邢道栄を便利に活用


劉賢(りゅうけん)字は不明
出身地不明(??~??)

実在する劉度(りゅうど)の息子に設定される。「演義」オリジナルキャラ。

赤壁の戦い後、劉備が零陵に攻め寄せると、太守の劉度の子の劉賢は「敵には張飛・趙雲がいるがこちらには勇猛な邢道栄(けいどうえい)がいる」と謎の信頼を見せ出撃させたが、一騎打ちで張飛に圧倒され撤退。さらに趙雲に出くわし邢道栄はあっさり降伏した。
主戦派の劉賢を捕らえてくれば許すと言われ解放されると、劉備軍を騙し討ちにしようとともに策を立てるが、当然見抜かれており邢道栄は趙雲に瞬殺された。
劉賢も捕らえられたが「全て邢道栄が企んだこと」と罪をなすりつけ助命され、父を説得し降伏させた。

「吉川三国志」ではなぜか劉延(りゅうえん)の名で登場。官渡の戦いの際に実在する劉延も登場しており紛らわしい。作中では邢道栄に罪をなすりつけはしなかった。
「横山三国志」にも劉延の名で登場する。



劉晙  座興代わりに殺される


劉晙(りゅうしゅん)字は不明
出身地不明(??~214)

劉璋(りゅうしょう)の将。「演義」オリジナルキャラ。

214年、益州を攻める劉備は馬超を降伏させ、ともに綿竹関へ入城した。
そこへ馬漢(ばかん)と劉晙が攻め寄せたが、趙雲が「手捕りにして参ります」と出て行き、二人の首を持ち帰った。
まだ劉備と馬超を迎え入れる宴席が始まったばかりで、あまりの早業に馬超も劉備軍の精強さに感嘆した。

手捕りにして参ると言っていたのに殺してくる趙雲が脳筋に見えてしかたない。

「吉川三国志」では馬漢と劉晙が攻めているのに趙雲・黄忠らは平然と劉備を迎え入れ、宴席のさなかに趙雲が「ちょっと中座します」と出て行き二人の首を持ってくる、とアレンジされた。



劉達  王経四天王


花永(かえい)・朱芳(しゅほう)・張明(ちょうめい)・劉達(りゅうたつ)いずれも字は不明
いずれも出身地不明(??~??)

魏の将たち。全員「演義」オリジナルキャラ。

王経(おうけい)の配下たち。255年、四将は背水の陣を敷いた姜維を攻撃し、普通に敗走した。
以降は登場せず、なぜわざわざ4人もオリキャラを作ったのか意味不明である。



劉泌  劉封を養育する


劉泌(りゅうひ)字は不明
荊州長沙の人(??~??)

樊城の県令。「演義」オリジナルキャラ。

徐庶(じょしょ)の活躍で曹仁軍を破った劉備を出迎えた。
両親を失い、彼に世話されていた甥の寇封(こうほう)の凛々しい容貌に劉備は一目惚れし、養子に迎えたいと申し出た。後の劉封(りゅうほう)である。

養子の件を聞くと関羽は「すでに実子(劉禅)がいるのになぜ災いの種を増やすのか」と苦言を呈したが、劉備は「実子と同様に扱えば問題ない」と意に介さなかった。
これが後に敗走する関羽を劉封が見殺しにする伏線となっている。

「吉川三国志」では「りゅうひつ」と読ませる。関羽の苦言に対する劉備の反論は書かれない。
「横山三国志」では関羽は荊州の相続争いを引き合いに出し、張飛も苦言を呈する。劉備はそれに対し「言われてみれば早まったことをしたがもう決まったことだ」といたって軽い反応をしている。



呂義  誤字から男


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呂通  李通の書き間違い


呂通(りょつう)字は不明
出身地不明(??~??)

曹操の将。「演義」オリジナルキャラ。

赤壁の戦いで布陣した部隊が紹介され、そこで登場するだけの謎の人物。
長らく李通(りつう)の誤記と思われてきたが、こちらのブログ→ 三国与太噺 によると「演義」の古い版をたどっていったところ、やはり正しくは李通だったとのこと。
実に500年以上にわたり間違い続けているそうで驚きである。

演義1  演義2