全尚 全夫人の父
全尚(ぜんしょう)字は不明
揚州呉郡銭唐県の人?(??~??)
呉の臣。
全夫人の父。
242年、孫和(そんか)が太子になると、かつて彼とその母を讒言した孫魯班(そんろはん)は排斥を恐れ、異母弟の孫覇(そんは)に肩入れし対抗させるとともに、孫権に最も可愛がられていた末弟の孫亮に取り入るため、夫の一族の娘(全夫人)を孫亮の妻に勧めた。
やがて二宮の変により孫和と孫覇は共倒れとなり、孫亮が太子に立てられた。(『孫亮伝』・『孫覇伝』)
252年、孫亮が即位すると、舅の全尚は城門校尉に任じられ、都亭侯に封じられた。
さらに滕胤(とういん)の後任として太常・衛将軍を継ぎ、永平侯に進み録尚書事となった。
全氏はかつてない栄華を極めたが257年、諸葛誕の反乱に際して全端(ぜんたん)が一族を率い援軍に派遣されたところ、その隙に起こった内紛により勢力を削られた。全端は魏へ投降し、一族は衰退した。(『孫亮全夫人伝』・『諸葛誕伝』)
258年、皇帝の孫亮は、専権を振るう孫綝の排除を図り、姉の孫魯班、舅の全尚らとともに密議を凝らした。
だが計画は洩れ、孫綝は先制攻撃を仕掛けて、宮城を包囲すると孫亮を廃位した。
計画漏洩の経緯は諸説ある。「正史」に曰く。
全夫人は孫綝の従姉の娘にあたるため、計画を孫綝へ密告した。
「江表伝」に曰く。
孫亮はまず全尚の息子の全紀(ぜんき)に計画を告げた。母は孫綝の従姉だから決して話さないよう念押ししたが、息子から話を聞いた全尚はそれを妻に伝えてしまい、あっさり孫綝にばれた。
孫亮は「お前の父が間抜けだから大事が駄目になった」と全夫人を罵り、全紀は「父のせいで申し訳ないことをしてしまい面目ない」と自害した。
後世の孫盛(そんせい)は「聡明な孫亮が全夫人にうっかり話したとは思えない。江表伝の記述の方が辻褄が合っている」と評した。
また孫綝は次の皇帝として孫休を招く際に「全尚は器量以上に重い官位にありながら一言も諫言せず、しかも敵国に内通した」と述べているが、これは方便だろう。(『孫綝伝』)
孫亮・全夫人・孫魯班は配流された。全尚は一族とともに零陵へと強制移住させられ、後に殺害された。(『孫綝伝』・『孫亮全夫人伝』)
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